光明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

光明寺

光明寺

光明寺(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。光明寺を創建したとも言われる聖徳太子は史上初の女帝である第33代・推古天皇の皇太子になり、冠位十二階・十七条憲法を定めるだけでなく、仏教を篤く崇敬し、聖徳太子建立七大寺とも言われる法隆寺・広隆寺・法起寺・四天王寺・中宮寺・橘寺・葛木寺を創建しました。

【光明寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府綾部市睦寄町君尾1-1
最寄り駅・バス停・・・あやべ温泉前(徒歩約40分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*山陰本線・綾部駅からあやバス・上林線
路線・時刻表・運賃チェック

【光明寺 拝観時間・時間(要確認)】
不明

【光明寺 拝観料金・料金(要確認)】
不明

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【光明寺 歴史・簡単概要】
光明寺(こうみょうじ)は「君尾山略記」によると飛鳥時代前期の599年(推古天皇7年)に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が創建したとも言われています。その後673年(白鳳元年)に修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が修験道の道場にしたと言われています。平安時代中期の延喜年間(901年~923年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子で、醍醐寺(だいごじ)開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が真言密教の道場として中興したと言われています。最盛期には山上・山下に72坊を有したと言われています。鎌倉時代前期の1248年(宝治2年)に現在の二王門(国宝)が再建されました。戦国時代(室町時代後期)の1527年(大栄7年)の大栄の乱で本堂などの多くの伽藍を焼失し、1533年(天文2年)以後に上林氏が再建したが、1572年(元亀3年)・1579年(天正7年)に明智光秀(あけちみつひで)による焼き討ちで再び焼失しました。江戸時代に藤掛氏に庇護されたが、その後衰退し、江戸時代中期の1733年(享保18年)に山下の23坊が焼失し、江戸時代後期の1836年(天保7年)に現在の本堂が再建されました。明治時代初頭に山上に残っていた4坊がなくなり、1914年(大正3年)に庫裏・方丈・客殿を焼失し、1916年(大正5年)に庫裏が再建されました。
光明寺は真言宗醍醐派の寺院です。
*参考・・・光明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【光明寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
光明寺の見どころは国宝に指定されている二王門(におうもん)です。二王門は鎌倉時代前期の1248年(宝治2年)に再建されました。二王門は三間一戸(さんげんいこ)の二重門で、入母屋造(いりもやづくり)のとち葺(とちぶき)です。二王門は木造金剛力士(こんごうりきし)立像2躯(国の重要文化財)を後の間に安置しています。また紅葉も見どころです。

*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2025(清水寺・東福寺・永観堂・・・)

【光明寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0773-42-9550(綾部市観光協会)

【光明寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【光明寺 おすすめ散策ルート】
光明寺からのおすすめ散策ルートは最寄りのバス停・あやべ温泉前まで散策することです。光明寺とあやべ温泉前までは少し距離があることから無理しないことも重要かもしれません。なお光明寺周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。

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