雲ケ畑松上げ2025年8月24日(日程時間・・・)
雲ケ畑松上げ
雲ケ畑松上げ(日程・時間・・・)を紹介しています。雲ケ畑松上げは例年8月24日に行われています。雲ケ畑松上げは雲ヶ畑出谷町・雲ヶ畑中畑町の2か所で行われます。雲ケ畑松上げでは約4メートル四方の櫓を組み、松明を文字の形に取付け、松明を点火することによって火文字を浮かび上がらせます。文字は毎年異なり、秘密にされているそうです。(詳細下記参照)
【雲ケ畑松上げ2025 日程時間(要確認)】
雲ケ畑松上げ2025は2025年(令和7年)8月24日(日曜日)20:00頃から行われます。(小雨決行)(現在確認中・要注意)
*参考・・・京都市ホームページ
【雲ケ畑松上げ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区雲ヶ畑 高雲寺・福蔵院
最寄り駅・バス停・・・高雲寺前(徒歩すぐ)、福蔵院前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*地下鉄烏丸線・北大路駅からは雲ヶ畑地域生活交通
●バスの時間(最終バス)に注意して下さい。
高雲寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
福蔵院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【雲ケ畑松上げ 歴史・簡単概要】
雲ケ畑松上げ(くもがはたまつあげ)は雲ヶ畑出谷町(福蔵院境内)・雲ヶ畑中畑町(高雲寺境内)の2か所で行われます。雲ケ畑松上げは平安時代前期に藤原氏(惟仁親王・清和天皇)と勢力争いに敗れて天皇になれず、洛北に隠棲して人望が厚かった惟喬親王(これたかしんのう)を慰める為に村人が始めたのが起源です。その後一度途絶えたが、明治時代に復活しました。雲ケ畑松上げは火除けと五穀豊穣を祈願する愛宕信仰の献火行事です。なお雲ケ畑松上げは1983年(昭和58年)に京都市の無形民俗文化財に登録されました。
雲ケ畑松上げでは約4メートル四方の櫓を組み、松明を文字の形に取付け、松明を点火することによって火文字を浮かび上がらせます。文字は毎年異なり、準備する若中会以外は点火されるまで秘密にされているそうです。
惟喬親王は第55代・文徳天皇の第1皇子だったが、摂政・藤原良房(ふじわらのよしふさ)の娘・明子が第4皇子・惟仁親王(これひとしんのう・清和天皇)を生むと皇太子争いに敗れ、大宰帥などを歴任した後に出家し、洛北に隠棲しました。
松上げは京都と若狭を結ぶ若狭街道周辺の山村でお盆(地蔵盆)の時期に行われる火祭りです。松上げは山火事を恐れ、火伏(防火)に霊験があるとされる愛宕神社(あたごじんじゃ)を崇拝する愛宕信仰が起源とも言われています。ちなみに京都の家庭の台所や飲食店の厨房などには愛宕神社の「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた火伏札がよく貼られています。なお松上げは松上げ祭り・松上げ神事・上げ松などとも言われているそうです。
地蔵盆は毎月24日に行われる地蔵菩薩(お地蔵さん)の縁日のことだが、お盆(盂蘭盆会)に近い旧暦7月24日に行われる地蔵盆を言うことが多いそうです。ちなみに地蔵菩薩は子供の守り神とされています。
愛宕神社は大宝年間(701年~704年)に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)と白山の開祖である泰澄が朝廷の許しを得て、愛宕山(朝日峰)に神廟を造営したのが起源と言われています。
【北区 歴史・簡単概要】
北区(きたく)は京都市を構成する11区のひとつで、京都市の北部に位置しています。北区は北部・西部は右京区、南部は上京区・中京区、東部は左京区に接しています。北区は北部が雲ケ畑松上げが行われる雲ケ畑などの山間部、南部は平野部で、京都市の市街地です。ちなみに雲ケ畑地域は旧出谷村・旧中畑村・旧中津川村からなり、面積約19.5平方キで、北区全体の5分の1を占めるそうです。そして標高約895メートルで、北区の最高峰・桟敷ヶ岳(さじきがたけ)には文徳天皇の第1皇子・惟喬親王(これたかしんのう)が都を眺める為に山頂に桟敷を作ったとも言われています。なお北区にはいずれも世界遺産である金閣寺・上賀茂神社や京都の三大奇祭に数えられるやすらい祭を行う今宮神社、そして千利休や一休さんにゆかりがある大徳寺などがあります。なお北区は1955年(昭和30年)9月1日に上京区から分区して成立しました。
*参考・・・松上げwikipedi・左京区(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【雲ケ畑松上げ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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