摩気神社神幸祭2025年10月(日程時間・・・)

摩気神社神幸祭

摩気神社神幸祭(日程・時間・・・)を紹介しています。神幸祭は例年10月14日・15日に近い土曜日・日曜日に行われています。神幸祭では御輿渡御・相撲(角力)奉納・お千度・流鏑馬などの行事が行われます。御輿渡御では土曜日に摩気神社から蛭子神社を経由して船阪の御旅所に巡行し、日曜日に御旅所での行事終了後に摩気神社に還幸します。(詳細下記参照)

【摩気神社神幸祭2024 日程時間(要確認)】
摩気神社神幸祭2024は2024年(令和6年)10月19日(土曜日)・20日(日曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・森の京都

【摩気神社神幸祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府南丹市園部町竹井字宮ノ谷3
最寄り駅・バス停・・・摩気神社前(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR園部駅から京阪京都交通バス(園篠線)

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【摩気神社神幸祭 歴史・簡単概要】
摩気神社神幸祭(しんこうさい)は例年10月14日・15日に近い土曜日・日曜日に行われています。神幸祭はかつて例祭に合わせて、8月の晦日(みそか・最終日)から9月の朔日(ついたち・初日)に行われていたが、1883年(明治16年)から10月14日・15日に行われるようになり、2003年(平成15年)から10月14日・15日に近い土曜日・日曜日に行われるようになったそうです。なお神幸祭は現在6つの神社が合同で古式に則って行っているそうです。
神幸祭では御輿渡御・相撲(角力)奉納・お千度・流鏑馬などの行事が行われます。
御輿渡御では土曜日に摩気神社から蛭子神社を経由して船阪の御旅所に巡行し、日曜日に御旅所での行事終了後に摩気神社に還幸します。御旅所への巡行中に仁江の稚児が加わり、船阪では船阪の稚児が迎えます。還幸の際には摩気神社の拝殿の周りを上下に揺すりながら1周します。
相撲(角力)奉納では日曜日の未明に御旅所で五穀豊穣を祈願して、ドジョウすくいの様な所作をする練り角力(相撲)・神様と角力を取って大げさに負ける一人角力(相撲)などが行われます。
流鏑馬で仁江の稚児・船阪の稚児が木製の馬にまたがって、目前の的に向かって矢を射ます。

【摩気神社 歴史・簡単概要】
摩気神社(まけじんじゃ)・摩氣神社は起源が明確ではありません。摩気神社は平安時代の法制書「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」によると770年(神護景雲4年)に神封(じんぷ)1戸が寄進されたことが記され、それ以前から祀られていたとも言われています。 平安時代前期の852年(仁寿2年)に勅使が派遣されて奉幣がされ、平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「丹波国船井郡 麻気神社」と記されて名神大社に列しました。その後1079年(承暦3年)に第72代・白河天皇が行幸し、勅額「船井第一摩気神社」を賜ったとも言われています。摩気神社は九品寺(くほんじ)の鎮守で、九品寺を白河天皇の第2皇子・覚行法親王(かくぎょうほっしんのう)が中興開山したことから白河天皇の行幸があったとも言われています。その後衰退したが、江戸時代に丹波園部藩主・小出氏が崇敬して祈願所になり、社頭を整備して九品寺を本寺とする胎金寺(たいこんじ)が別当寺に定められました。1762年(宝暦11年)に胎金寺からの失火で延焼して社殿・古記録・宝物類などが焼失し、1764年(宝暦14年)から丹波園部藩第5代藩主・小出英持(こいでふさよし)の援助や氏子の寄進によって社殿が再建され、1767年(明和4年)に現在の本殿が完成しました。明治維新後の神仏分離によって別当寺・胎金寺が廃されました。なお摩気神社は大御饌津彦命 (おおみけつひこのみこと)を祀っています。摩気神社は近世以来摩気郷十一ヶ村の総鎮守と称されていました。
*参考・・・摩気神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【摩気神社神幸祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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