普門院牧山の松明2026年8月24日(小松明・大松明)

普門院牧山の松明(日程・アクセス・概要)

普門院牧山の松明(日程時間など)を紹介しています。普門院牧山の松明は例年8月24日に行われます。牧山の松明はお盆に行なわれる万灯籠と愛宕山信仰に基づき、100年以上続く祭りです。牧山の松明では夜になると観音堂の仏前に供えられていた燈明から小松明に点火され、小松明の火を大松明に点けると参詣者が松明の灯りでお千度を踏んで終了します。(詳細下記参照)

【普門院牧山の松明2026 日程時間(要確認)】
普門院牧山の松明2026は2026年(令和8年)8月24日(月曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・森の京都ホームページ

【普門院牧山の松明 アクセス・マップ】
場所・・・京都府南丹市日吉町中世木宮ノ前13
最寄り駅・バス停・・・日吉駅(車約20分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線(山陰本線)

*京都縦貫自動車道・園部IC(車約30分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【普門院牧山の松明 歴史・簡単概要】
牧山の松明(まきやまのたいまつ)はお盆(盂蘭盆・うらぼん)に行なわれる万灯籠(まんとうろう)と愛宕山信仰(あたごさんしんこう)に基づき、100年以上続く祭りです。牧山の松明は洛北などで行われている松上げと同じような行事です。牧山の松明は先祖に感謝し、無病息災(むびょうそくさい)や豊作を祈願することが目的で、松明がよく燃えた年には豊作になると言われています。牧山の松明は例年8月24日に行われています。なお牧山の松明は京都府の登録文化財に指定されています。
牧山の松明では8月24日の早朝から村人が株頭が1ヶ月以上前に近くの山から切り出した松の割木の束を長さ約4メートルの3本の棒にそれぞれ打ち込んで、扇状に大松明を組み上げます。その後集落の中心に位置する普門院の鳥居の前に立て、昼頃から施餓鬼(せがき)・護摩法要(ごまほうよう)などが行われます。そして境内を流れる小川に沿って牧山集落にある家の数と同じだけ小松明を並べて、祭りの準備を終えます。20:00になると観音堂の仏前に供えられていた燈明から小松明に点火され、小松明の火を大松明に点けると参詣者が松明の灯りでお千度を踏んで終了します。なお牧山の松明ではかつて盆踊りが行われたり、露店屋台が出店したりしていたが、現在は過疎化などで休止になっているそうです。また松明の本数も少なくなっているそうです。
愛宕山信仰は古くから火伏せ・防火に霊験のある愛宕神社を崇拝するものです。愛宕神社は飛鳥時代後期の大宝年間(701年~704年)に修験道の祖である役行者・役小角と白山の開祖である泰澄が朝廷の許しを得て、標高約924メートルの愛宕山山頂に祀られました。愛宕神社は火伏札「火迺要慎」がよく知られ、火伏札が京都の家庭の台所や飲食店の厨房などに貼られています。
万灯(万燈)は仏・菩薩に多くの灯籠に灯明を灯して供える法会です。万灯は古来から行われ、飛鳥時代後期の651年(白雉2年)に味経宮で2,700余の灯りを燃して僧侶が読経したことや奈良時代前期の744年(天平16年)に東大寺の前身・金鐘寺で1万坏の燃灯供養が行われたことが日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」などに記されています。

【普門院 歴史・簡単概要】
普門院はかつて補陀洛山神興寺と言い、東方の山地・耕地に七間四方の本堂など七堂伽藍が建立され、子院・住房も立ち並んで盛観を極めていたと言われています。その後度々火災に見舞われ、復興されたと言われています。安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に明智光秀が丹波平定に際し、周山城を築城した際、周辺の寺社が次々と破壊され、普門院の伽藍も多くが破壊されて衰退を余儀なくされました。江戸時代中期の延享年間(1744年~1748年)頃に安楽山西蓮寺・補陀洛山観音寺・慈現山普門院の3ヶ寺のみが復興されたが、その後3ヶ寺も火災でほとんど焼失し、 本尊だけが焼失を免れました。半焼の普門院が修復されて本尊を安置し、補陀洛山の山号を継承しました。
普門院は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・普門院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【普門院牧山の松明 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
普門院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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