元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭2026年2月3日(三鬼打ち神事)
元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭(日程・アクセス・概要)
元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭(日程時間など)を紹介しています。元伊勢節分祭は例年節分(立春の前日)に行われています。元伊勢節分祭では三鬼打ち神事・盃割厄除神事が行われます。三鬼打ち神事では病鬼・陰鬼・貧鬼の三鬼に豆を撒きます。三鬼は悔い改め、病鬼が元気、陰鬼が陽気、貧鬼が富貴に生まれ変わます。(詳細下記参照)
【元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭2026 日程時間(要確認)】
元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭2026は2026年(令和8年)2月3日(火曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・元伊勢内宮皇大神社ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2026
【元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府福知山市大江町内宮字宮山217
最寄り駅・バス停・・・大江山口内宮駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都丹後鉄道宮福線
【元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭 歴史・簡単概要】
元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭(もといせせつぶんさい)は例年節分(立春の前日)に行われています。(節分は毎年2月3日ではなく、変動する場合があります。)なお元伊勢内宮皇大神社では翌日の立春に立春祭も行っています。
元伊勢節分祭では三鬼打ち神事(さんきうちしんじ)・盃割厄除神事(かわらけわりやくよけしんじ)が行われます。なお元伊勢節分祭では福笹・厄除豆の授与や甘酒の接待が行われます。(要確認)
三鬼打ち神事では病鬼・陰鬼・貧鬼の三鬼に向かって、白装束に身を包んだ厄年の者・年男などが「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆を撒きます。追われた三鬼は神前で悔い改め、病鬼が元気、陰鬼が陽気、貧鬼が富貴というお多福の面を付けた福の神に生まれ変わます。福の神は子どもを抱っこをしたりしながら福を授けます。
盃割厄除神事では御門神社前で神酒を頂き、盃(かわらけ)を厄除石で割り、白布を八つ裂きして厄祓いします。
- 節分は元々、季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 鬼は目に見えない邪気を表す陰(おん)に由来するとも、姿が見えずに怖いものを表す隠(おぬ)に由来するとも言われています。その為人智を超え、人に危害を与える災害・疾病・飢饉などは鬼の仕業と考えられました。
【元伊勢内宮皇大神社 歴史・簡単概要】
元伊勢内宮皇大神社は紀元前59年(崇神天皇39年)に天照皇大神のご神体・八咫鏡を大和から但波に移されて祀ったのが起源と言われています。ちなみに八咫鏡は天照皇大神が天孫・邇邇芸命が降臨した際に授けた三種の神器(八尺瓊勾玉・草薙剣(天叢雲剣))のひとつで、三重・伊勢神宮の内宮に御神体として祀られています。八咫鏡はこの地で4年間祀られ、その後各地を転々とした後に伊勢神宮に祀られたことから「元伊勢内宮」・「元伊勢皇大神宮」・「大神宮さん」などと言われています。第43代・元明天皇の時代(707年~715年)に社殿が建立されたと言われています。1656年(明暦2年)に社殿の建立に伴って、丹後宮津藩3代藩主・京極高国が社殿を修築しました。1681年(天和元年)に「宮津領村高帳」によると4石3斗4合の社領を有していたと言われています。1701年(元禄14年)に丹後宮津藩主・奥平昌成が社殿を修築したと言われています。
*参考・・・元伊勢内宮皇大神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【元伊勢内宮皇大神社元伊勢節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
元伊勢内宮皇大神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報