苗秀寺紅葉見ごろ2021遅め(11月中旬~12月上旬頃)

苗秀寺

苗秀寺紅葉見ごろ(例年)・見どころ

苗秀寺紅葉見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。苗秀寺では30年ほど前に檀家さんなどの協力で約200本のカエデが植えられたとも言われ、亀岡のもみじ寺とも言われています。紅葉と参道・参道の石垣と竹垣・緑色の苔・白像門・薬医門・鐘楼堂などの光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)

【苗秀寺 紅葉見ごろ(例年)・2021年の予想】
苗秀寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から12月上旬頃です。ただ紅葉の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2021年の紅葉見ごろ情報は2021年9月上旬頃から情報発信します。
京都紅葉見ごろ2021

【苗秀寺紅葉見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府亀岡市ひ田野町佐伯大門47
最寄り駅・バス停・・・上佐伯(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線亀岡駅から京阪京都交通

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【苗秀寺 紅葉見ごろ(例年)・見どころ】
苗秀寺は紅葉の名所です。苗秀寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から12月上旬頃です。苗秀寺は標高約143メートルです。
苗秀寺では30年ほど前に檀家さんなどの協力で約200本のカエデが植えられたとも言われ、亀岡のもみじ寺とも言われています。紅葉と参道・参道の石垣と竹垣・緑色の苔・白像門(はくぞうもん)・薬医門(やくいもん)・鐘楼堂(しょうろうどう)などの光景が美しいと言われています。参道などの散りもみじ(敷きもみじ)も趣があります。なお紅葉は薬医門からの眺めが素晴らしいと言われています。
参道の内、白像門から薬医門までは正式な参道とされ、江戸時代に丹波亀山藩藩主・松平氏も参詣に使用しました。
白像門は三門(龍門・薬医門)の内、2番目の門にあたる中門になります。白像門は佐賀産の花崗岩(かこうがん)で造られ、総重量63トンになります。白像門は白い象に似ていることから名付けられました。
薬医門は本堂正面に建立されている正門になります。薬医門は300年前、江戸時代中期頃に建立されたとも言われています。薬医門には金箔仕上げの龍の彫刻が施されています。
鐘楼堂は300年前、江戸時代中期頃に建立されたとも言われています。鐘楼堂は1943年(昭和18年)に金属回収令によって供出された梵鐘に代わり、1991年(平成3年)に再鋳造された梵鐘を釣っています。梵鐘は重さ1.3トンで、直径1.3メートルです。
紅葉狩りは平安時代に貴族から盛んになり、邸宅にモミジを植えたり、紅葉の名所に出掛けたりしたそうです。室町時代に徐々に庶民にも広がり、江戸時代中期に庶民の行楽として人気になったと言われています。なお奈良時代末期成立の日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・萬葉集」にはモミジを詠んだ和歌が残されています。

【苗秀寺 歴史・簡単概要】
苗秀寺(みょうしゅうじ)は奈良時代(710年~794年)に創建されたとも言われています。苗秀寺の寺号は「叢林(そうりん)の霊苗永く無窮に秀る」から名付けられたと言われています。苗秀寺は国分尼寺(こくぶんにじ)で、瑜伽宗(ゆがしゅう)の寺院であったと伝えられています。その後平安時代に天台宗(てんだいしゅう)に改められ、一大勢力を保っていたが、戦国時代(室町時代後期)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(あけちみつひで)による丹波(たんば)攻略によって荒廃し、往時の詳細が分からなくなりました。江戸時代前期の1625年(寛永2年)に親清流大給松平家4代当主で、丹波国亀山藩初代藩主・松平成重(まつだいらなりしげ)がかつて建立されていた野下の地に曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院として再興しました。江戸時代中期に丹波国亀山藩の藩主となった青山因幡守(いなばのかみ)から亀山藩の山城跡である現在の場所を与えられ、その後形原松平家11代当主で、丹波亀山藩初代藩主・松平信岑(まつだいらのぶみね)が再び中興開山しました。松平信岑は現在の法堂(本堂)を建立しました。なお苗秀寺は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)を祀っています。
苗秀寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・苗秀寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【苗秀寺紅葉見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
苗秀寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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