長岡天満宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
長岡天満宮の歴史を時代別年表で紹介。
長岡天満宮の歴史は901年(延喜元年)に菅原道真が太宰府に左遷された際、菅原道真が高槻まで付き従った中小路宗則に自作の木像と念持仏を託し、菅原道真の死後に木像を祀る祠が建てられたのが起源と言われています。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【祭神・菅原道真】
★長岡天満宮が祀られている場所一帯は平安時代前期に祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の所領だったと言われています。菅原道真は第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の孫で、六歌仙・三十六歌仙に数えられた在原業平(ありわらのなりひら)らと詩歌・管弦を度々楽しんだと言われています。
★901年(延喜元年)に「宇多上皇(第59代・宇多天皇(うだてんのう))を欺き惑わした」・「第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」という左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、右大臣・菅原道真が太宰府(だざいふ)に左遷され、この地に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだと言われています。なお菅原道真が左遷された際、藤原時平の命を受けた笠原宿禰等に襲われ、松原の中から荒れ狂った白牛が現れ、笠原宿禰の腹を突き刺したという話が残されています。白牛は菅原道真が都で愛育した牛で、菅原道真は「都にて流罪極る前夜、不思議に逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫まで伴わん」と涙を流して喜び、牛に乗って旅立たれたと言われています。
【長岡天満宮の起源・始まり】
★長岡天満宮は平安時代前期の901年(延喜元年)に菅原道真が太宰府に左遷された際、菅原道真が大阪高槻まで付き従った菅原氏の一族とされる中小路宗則(なかこうじむねのり)に自作の木像と念持仏(ねんじぶつ)を託し、903年(延喜3年)の菅原道真の死後に木像を祀る祠が建てられたのが起源と言われています。また中小路宗則は大宰府まで付き従い、菅原道真の死後に東小路祐房(ひがしこうじすけふさ)とともに戻り、木像を祀る祠を建てたのが起源とも言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★854年(斉衡元年)に神足神社が国の官社になりました。神足神社は式内社(しきないしゃ)で、乙訓十九座に数えられました。神足神社には第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の夢伝説が残されています。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、社殿が焼失しました。
★1498年(明応7年)に社殿が再建されたと言われています。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
★1596年(慶長元年)に慶長の大地震で社殿が倒壊しました。
★1598年(慶長3年)に社殿が再建されました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★1623年(元和9年)に八条宮家の領地になり、度々寄進・造営などが行われました。
★1638年(寛永15年)に八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)が八条ヶ池を築造しました。
★1676年(延宝4年)に第112代・霊元天皇(れいげんてんのう)の勅により、八条宮家が社殿を修築したと言われています。
★1690年(元禄3年)に八条宮家が本殿を修築したと言われています。中小路家が護持本尊を本殿に安置したと言われています。
★1851年(嘉永4年)に角宮神社の本殿・春日神社の本殿が建立されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★明治維新後の上知令により、10万坪の境内が2万坪に減少しました。
★1900年(明治33年)に長岡稲荷神社が創建されました。長岡稲荷神社は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)・猿田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女神(おおみやめがみ)を祀り、五穀豊穣・商売繁盛のご利益があると言われています。
★明治時代に中興の祖である宮司・中小路宗城が境内などを整備しました。明治時代に祝詞舎(長岡京市指定有形文化財)が建立されました。
★明治時代にキリシマツツジが植えられ、樹齢130年前後とも、150年とも言われています。キリシマツツジは長岡京市の天然記念物に指定されています。
★大正時代に手水舎(長岡京市指定有形文化財)・社務所(長岡京市指定有形文化財)が建立されました。
★1928年(昭和3年)に新京阪鉄道(阪急電鉄京都本線)の長岡天神駅が開業すると参拝者が多くなりました。
★1941年(昭和16年)に平安神宮の社殿が移築され、本殿(京都府指定有形文化財)・祝詞舎・透塀が建立されました。旧本殿は大歳神社(西京区)、旧拝殿は角宮神社(長岡京市)に移築されました。
★昭和に神饌所(長岡京市指定有形文化財)が建立されました。
★1998年(平成10年)に既存の拝殿が増改築され、現在の拝殿が竣工しました。
★2011年(平成23年)に本殿が京都府の有形文化財に指定されました。
★2012年(平成24年)に祝詞舎(弊殿)・透塀・手水舎(旧幣殿)などが長岡京市の有形文化財に指定されました。
【長岡天満宮ゆかりの中小路宗則】
中小路宗則は生年が不明です。中小路宗則は菅原氏の一族で、平安時代前期の貴族です。菅原道真から自作の木像と念持仏を託され、菅原道真の死後に木像を祀る祠が建て、長岡天満宮を創建したと言われています。中小路家は長岡天満宮の神主を代々務め、境内に子孫である中小路宗城・中小路宗康の銅像が建立されています。なお中小路宗則は916年(延喜16年)に亡くなりました。
【長岡天満宮 備考】
*参考・・・長岡天満宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ