日本三大えびす(恵美須神社・今宮戎神社・西宮神社)

日本三大えびす
恵美須神社(京都ゑびす神社)は大阪・今宮戎神社と兵庫・西宮神社とともに日本三大えびすに数えられています。恵美須神社・今宮戎神社・西宮神社では例年1月10日とその前後数日に十日戎(十日えびす)を行い、商売繁盛の福笹・縁起物などを授与しています。
【日本三大えびす 基礎知識】
えびす様(夷・戎・胡・蛭子・蝦夷・恵比須・恵比寿・恵美須)は七福神の中で唯一日本由来の神様です。えびす様は父・伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と母・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の最初の子・蛭子命(ひるこのみこと)とも、大黒様である大国主命(おおくにぬしのみこと)の子・事代主神(ことしろぬしかみ)ともされています。えびす様は商売繁盛の福神(福の神)とされています。またえびす様は古来から海神ともされています。なおえびす様は関西では親しみをもって、えべっさんと言われています。
【日本三大えびす 恵美須神社】
恵美須神社・京都ゑびす神社は鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1202年(建仁2年)に臨済宗の宗祖・明庵栄西禅師が建仁寺を創建した際、建仁寺の鎮守として創建されたと言われています。その後室町時代(1336年~1573年)中期に応仁の乱で建仁寺が焼失して再建された際、現在の場所に移ったと言われています。恵美須神社はゑびす神である八代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っています。なおゑびす信仰(十日戎・十日えびす)の象徴である福笹は恵美須神社独自の「御札」の形態が広く広まったものと言われています。
*参考・・・恵美須神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
十日ゑびす大祭は例年1月10日とその前後2日間行われています。十日ゑびす大祭では商売繁昌・家運隆昌を祈願した吉兆笹や縁起物(大宝・福俵・福箕・福熊手・福鯛・宝船・宝来など)が授与されます。屋台露店も立ち並びます。(要確認)
恵美須神社十日ゑびす大祭
【今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)】
今宮戎神社は第33代・推古天皇の時代(593年~628年)に第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子が飛鳥時代(592年~710年)前期の593年(推古天皇元年)に創建した四天王寺の西方鎮護として祀られたのが起源とも言われています。また今宮戎神社は京都・八坂神社の氏子が今宮に移り住んで、平安時代に八坂神社内に祀られるようになった末社・北向蛭子社から勧請して祀ったのが起源とも言われています。今宮戎神社はかつて海岸沿いにあり、平安時代(794年~1185年)中期から朝役として宮中に鮮魚を献進していました。その後平安時代後期に四天王寺の西門で浜の市が開かれるようになり、海から幸をもたらす漁業の守り神だけでなく、市の守り神としても信仰されるようになり、やがて福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになりました。桃山時代(1583年~1603年)の慶長年間(1596年~1615年)に豊臣秀頼が片桐且元に社殿造営の普請を命じました。なお今宮戎神社は天照皇大神・事代主神(えびす)・素盞嗚命・月読尊、稚日女尊を祀っています。
*参考・・・今宮戎神社(アクセス・歴史・・・)
【西宮神社(にしのみやじんじゃ)】
西宮神社は起源が明確ではありません。西宮神社はかつて茅渟海(ちぬのうみ)と言われていた大阪湾の神戸和田岬の沖から出現し、西宮鳴尾の漁師が祀っていた神像を神託により、西宮に移して祀ったのが起源とも言われています。また平安時代(794年~1185年)後期に文献に度々記載されていることからそれ以前から祀られていたとも言われています。西宮神社は平安時代に廣田神社(ひろたじんじゃ)の境外摂社として、「浜の南宮」・「南宮社」と言われていたそうです。ちなみに西宮神社の境内には廣田神社の境外摂社・南宮神社が現在も祀られています。西宮神社は平安時代末期には戎信仰で信仰されていたとも言われています。戦国時代(1493年~1590年)の1534年(天文3年)の兵火で焼失し、江戸時代(1603年~1868年)前期の1604年(慶長9年)から豊臣秀頼の奉献によって本殿などが再建され、その後江戸幕府第4代将軍・徳川家綱が本殿を再建したと言われています。1872年(明治5年)に廣田神社から分離しました。なお西宮神社は第一殿にえびす大神(西宮大神・蛭児命)、第二殿に天照大御神・大国主大神、第三殿に須佐之男大神を祀っています。
*参考・・・西宮神社(アクセス・歴史・・・)