祇園祭と神道家・吉田兼倶編纂の「二十二社註式」

祇園祭と神道家・吉田兼倶編纂の「二十二社註式」

祇園祭は869年(貞観11年)に行われた祇園御霊会が起源とされ、970年(天禄元年)から毎年行われるようになりました。吉田兼倶編纂の「二十二社註式」に970年(天禄元年)から祇園祭が行われるようになったことが記されています。

【祇園祭 日程】
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり) から7月31日の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
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【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭と神道家・吉田兼倶編纂の「二十二社註式」】
祇園祭は869年(貞観11年)に行われた祇園御霊会が起源とされ、970年(天禄元年)から毎年行われるようになりました。室町時代中期の神道家・吉田兼倶(よしだかねとも)が編纂したと言われる「二十二社註式(にじゅうにしゃちゅうしき )」に「祭礼。同円融天禄元年(970年)六月十四日、始御霊会(祇園祭)、自今年行之」と記され、970年(天禄元年)6月14日に御霊会(祇園祭)が行われるようになりました。ちなみに祇園祭ではかつて6月7日が神輿迎え、6月14日が祇園会と言われていました。「二十二社註式」には「承平五年(935年)六月十三日官符 人皇六十一代朱雀院承平五年(935年)六月十三日官符云。応以観慶寺(八坂神社)為定額寺事。字祇園寺。在山城国愛宕郡八坂郷地一町。檜皮葺三間堂一宇。(在庇四面)檜皮葺三間礼堂一宇。(在庇四面)安置薬師像一体。脇士菩薩像二体。観音像一体。二王毘頭盧一体。大般若経一部六百巻。神殿五間檜皮葺一宇。天神。婆利女。八王子。五間檜皮葺礼堂一宇。右得山城国解ショウ。故常住寺十禅師伝燈大法師位円如。去貞観年中(859年~877年)奉為建立也。或云。昔常住寺十禅師円如大法師。依託宣。第五十六代清和天皇貞観十八年(876年)、奉移山城国愛宕郡八坂郷樹下。其後藤原昭宣公。感威験。壊運台宇一建立精舎。今社檀是也。」と記され、貞観年間(859年~877年)に常住寺十禅師の円如が建立したとも、876年(貞観18年)に円如が託宣によって移して祀り、その後藤原基経が威験を感じて邸宅を壊して運んで精舎を建立したともと伝えています。876年(貞観18年)の八坂神社創建前に869年(貞観11年)の祇園御霊会(祇園祭)が行われた可能性もあり、興味深い資料になっています。また八坂神社の神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代を知ることもできます。ちなみに当初の祇園祭は仏教的色彩が濃く、読経が中心行事だったと言われています。その後中心行事が神輿渡御、更に山鉾巡行へと変遷します。
「二十二社註式」には「西間。本御前。奇稲田媛垂迹。一名婆利女。一名少将井。脚摩乳手摩乳女。」、「中間。牛頭天皇。号大政所。進雄尊垂迹。」、「東間。蛇毒気神龍王女。今御前也。」と記され、中間に進雄尊(すさのお)の垂迹である牛頭天皇(ごずてんのう・大政所)、西間に奇稲田媛(くしなだひめ)垂迹である婆利女(はりさいにょ・少将井)、東間に蛇毒気神龍王女が祀られています。現在、八坂神社が中御座に素戔嗚尊 (すさのをのみこと)、東御座に櫛稲田姫命 (くし(い)なだひめのみこと)、西御座に八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀り、変遷を知ることができます。

【吉田兼倶 祇園祭】
吉田兼倶は1435年(永享7年)に卜部兼名の子として生まれました。1449年(文安6年・宝徳元年)に神祇権少副兼中務少輔になっていたとも言われ、1467年(応仁元年)に昇殿が許され、侍従兼権大副になりました。卜部家の家職・家学を継承し、「神明三元五大伝神妙経」を著して吉田神道の基礎を築きました。1484年(文明16年)に吉田神社に斎所として虚無太元尊神を祀る大元宮を創建し、全国各地の神を祀りました。1499年(明応8年)に42歳で亡くなった子・吉田兼致の為に吉田山に神龍院を創建し、長老に子・妙亀を就けました。吉田兼倶は反本地垂迹の立場で、儒教・仏教・道教の教理をとり入れ、第103代・後土御門天皇をはじめ公卿・将軍家などに教えを広め、朝廷・幕府に取り入って勢力を拡大しました。吉田兼倶は地方の神社に神位・神職に位階を授ける制度を作り上げ、吉田神道隆盛の基礎を確立しました。なお吉田兼倶は1511年(永正8年)に亡くなりました。

【祇園祭と神道家・吉田兼倶編纂の「二十二社註式」 備考】
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