祇園祭と猿楽師・世阿弥(ぜあみ)
祇園祭と猿楽師・世阿弥(ぜあみ)
祇園祭では古くから神輿渡御と山鉾巡行が人気で、歴史上の有名人が見物した記録が残されています。三条公忠の「後愚昧記」には1378年(天授4年・永和4年)に猿楽師・世阿弥が足利義満と桟敷で鉾を見物したことが記されています。
【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園祭と猿楽師・世阿弥(ぜあみ)】
祇園祭では古くから神輿渡御と山鉾巡行が人気で、歴史上の有名人が見物した記録が残されています。南北朝時代の公卿・三条公忠(さんじょうきんただ)が記した「後愚昧記(ごぐまいき)」1378年(天授4年・永和4年)6月7日の条に「七日、雨下、及晩聊晴、今日祇園御輿迎(祇園祭)也、而(延暦寺・日吉大社)神輿造替未事終之間、彼社(八坂神社)神輿同不出来、仍此間年々無御輿迎、今年又同前也、然而於鉾者結構之、大樹(足利義満)構桟敷(四条東洞院)見物之、件桟敷賀州守護富樫(昌家)介経営。依大樹(足利義満)命也云々、大和猿楽児童(称観世之猿楽法師子(藤若・世阿弥元清)也)被召加大樹(足利義満)桟敷見物也。件児童自去比大樹(足利義満)寵愛之、同席伝器。如此散楽者乞食所行也、而賞翫近仕之条、世以傾奇之由。連々賜財産。与物於此児之人、叶大樹(足利義満)所存。仍大名等競而賞賜之、費及巨万云々。比興事也。依為次記之、」と記され、絶世の美少年だった猿楽師(さるがくし・散楽者)・世阿弥(ぜあみ)が庇護されていた室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)と四条東洞院に設けられた桟敷(さじき)で鉾(山鉾)を見物しました。1378年(天授4年・永和4年)は延暦寺(えんりゃくじ)の守護神・日吉大社(ひよしたいしゃ)の神輿造替の影響により、祇園祭の神輿渡御が中止になって鉾も出ないはずだったが、足利義満は見物の為に鉾を出せて見物し、世阿弥に盃(さかずき)を授けました。世阿弥と足利義満の同席は世の中からも注目されたそうです。筆者の三条公忠は足利義満が身分の低い世阿弥に贈り物をすると喜ぶことから諸大名が競うように贈り物をして巨費になり、苦々しく思って記しました。なお世阿弥は少年時代に絶世の美少年で、13歳の時に「藤若(ふじわか)」という幼名を与えた関白・二条良基(にじょうよしもと)は奈良・東大寺尊勝院の僧侶に宛てた手紙の中に「よくぞこんな美童が輩出したものだ」と記しています。
【世阿弥 祇園祭】
世阿弥は1363年(正平18年・貞治2年)に大和猿楽結崎座の猿楽師・観阿弥の子として生まれました。実名は観世三郎元清、通称は三郎だったが、二条良基から藤若の名を授けられ、連歌も習いました。幼少から結崎座に出演し、また大和国十市郡の補巌寺で竹窓智厳に師事して学びました。1374年(文中3年・応安7年)に父・観阿弥が京都・新熊野神社で催した猿楽能に出演し、室町幕府3代将軍・足利義満の目にとまり、足利義満から庇護されるようになりました。1378年(天授4年・永和4年)の祇園祭で足利義満の桟敷で見物し、公家から批判されました。足利義満は近江猿楽の犬王道阿弥も好みだったと言われています。1384年(弘和4年・永徳4年)に父・観阿弥が亡くなると観世太夫を継ぎました。1422年(応永29)に長男・観世元雅に観世大夫を譲って出家しました。室町幕府4代将軍・足利義持が田楽の増阿弥を寵愛すると不遇になり、室町幕府6代将軍・足利義教が長男・観世元雅の従兄弟・観世三郎元重(音阿弥)を重用すると冷遇・圧迫され、1429年(正長2年)に仙洞御所への出入りが禁止になり、1430年(永享2年)に醍醐清滝宮の楽頭職を罷免されました。1432年(永享4年)に長男・観世元雅が伊勢安濃津で亡くなり、1434年(永享6年)に観世大夫を観世三郎元重(音阿弥)に譲って佐渡国に流され、その後帰洛したとも言われています。世阿弥は観阿弥とともに猿楽を幽玄な能(夢幻能)に大成させ、能楽論「風姿花伝」・「花鏡」などを記しました。なお世阿弥は1443年(嘉吉3年)9月1日に亡くなりました。
【祇園祭と猿楽師・世阿弥(ぜあみ) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)