理性院(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
理性院
理性院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。理性院に伝承されている太元帥大法は平安時代前期の852年(仁寿2年)から毎年1月8日から7日間、宮中の真言院で太元帥明王を本尊として行われていました。太元帥大法は国家安穏を祈願する後七日御修法と双璧をなす大法とされました。
【理性院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区醍醐東大路町21
最寄り駅・バス停・・・醍醐寺(徒歩すぐ)、醍醐寺前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅八条口からは山急醍醐寺行き
*京阪六地蔵駅からは22系統、22A系統
*四条河原町・五条京阪からは86号系統、86B系統
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は醍醐駅(徒歩約10分)
路線・時刻表・運賃チェック
【理性院 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開
【理性院 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開
【理性院 歴史・簡単概要】
理性院(りしょういん)は平安時代後期の1115年(永久3年)に醍醐寺の理性房賢覚(けんがく)が父・賢円(けんえん)の住房に太元師明王(たいげんすいみょうおう)を安置したのが起源と言われています。理性房賢覚は1080年(承暦4年)に生まれ、醍醐寺(だいごじ)の塔頭(たっちゅう)・三宝院(さんぼういん)の勝覚から灌頂(かんじょう)を受け、理性院流の祖になり、「達磨鈔」・「支度集」などを記し、1156年(久寿3年)に亡くなりました。その後室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失したと言われています。その後江戸時代に本堂・客殿が再建されました。理性院は三宝院・金剛王院(こんごうおういん)・無量寿院(むりょうじゅいん)・報恩院(ほうおんいんとともに醍醐五門跡に数えられました。また理性院は小野六流に数えられる醍醐三流(定海を祖にする三宝院流・聖賢を祖にする金剛王院流・賢覚を祖にする理性院流)の理性院流の本寺です。
理性院は醍醐寺の塔頭です。
*参考・・・醍醐寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【醍醐寺 歴史・簡単概要】
醍醐寺は平安時代前期の874年(貞観16年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が上醍醐山上で地主・横尾明神(よこおみょうじん)の示現により、醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝観音(じゅんていかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)を安置したのが起源と言われています。907年(延喜7年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の御願により、薬師堂が建立されて薬師三尊が造立され、五大堂が落成すると上醍醐の伽藍が完成しました。その後926年(延長4年)に釈迦堂が建立され、951年(天暦5年)に五重塔が落成すると下醍醐の伽藍が完成しました。1115年(永久3年)に醍醐寺14代座主・勝覚(しょうか)が醍醐寺の塔頭(たちゅう)・三宝院(さんぼういん)を創建し、上醍醐・下醍醐の伽藍も整備しました。
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山です。
*参考・・・醍醐寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【理性院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
理性院の見どころは山門を入った先に建立されている千体地蔵です。ちなみに千体地蔵では例年10月の第3日曜日に千体地蔵供養が行われ、新しい真っ赤な涎掛けが奉納されます。また絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が10代の頃に描いたと言われる客殿の障壁画も見どころです。
【理性院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-571-0002(醍醐寺)
【理性院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【理性院 おすすめ散策ルート】
理性院からのおすすめ散策ルートは三宝院を経由し、醍醐寺に向かうルートです。10分ほど散策すれば、醍醐寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。醍醐寺は面積200万坪以上で、下醍醐と上醍醐に分かれています。時間がある方は下醍醐だけでなく、上醍醐も散策しましょう。