真如院庭園の特別公開2024年10月19日~11月4日(日程時間)

真如院

真如院庭園の特別公開

真如院庭園の特別公開(日程・時間・・・)を紹介しています。(詳細下記参照)庭園の特別公開は秋に行われています。庭園の特別公開では室町時代後期(戦国時代)に織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭の為に作庭し、1961年(昭和36年)に作庭家・重森三玲が「都林泉名勝図絵」を元に復元した枯山水庭園が公開されます。(詳細下記参照)

【真如院庭園の特別公開2024 日程時間(要確認)】
真如院庭園の特別公開2024は2024年(令和6年)10月19日(土曜日)~11月4日(月曜日)の土・日曜日・休日と11月1日(金曜日)10:00~15:00に行われます。(現在確認中・要注意)

【真如院庭園の特別公開 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区猪熊通五条上る柿本町677
最寄り駅・バス停・・・五条堀川(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から真如院は地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

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【真如院庭園の特別公開 歴史・簡単概要】
真如院庭園の特別公開(ていえんのとくべつこうかい)は秋に行われています。庭園の特別公開では通常非公開の枯山水庭園が公開されます。
庭園の特別公開では室町時代後期(戦国時代)の1568年(永禄11年)頃に織田信長(おだのぶなが)が室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の為に作庭し、1961年(昭和36年)に作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が江戸時代後期の「都林泉名勝図絵(みやこりんせんめいしょうずえ)・秋里籬島(あきざとりとう)」を元に復元した枯山水庭園が公開されます。庭園は鱗形(うろこがた)の石を並べて流れを表現し、瓜実灯籠(うりざねとうろう)・烏帽子石(えぼしいし)・呼子の手水鉢(ちょうずばち)などが置かれています。
重森三玲は1896年(明治29年)に岡山県上房郡吉川村に生まれ、日本美術学校で日本画を学び、生け花・茶道なども習いました。1917年(大正6年)に画家を志して東京に上京したが、1929年(昭和4年)に京都に転居し、その後日本庭園を独学で学び、1936年(昭和11年)から全国の庭園を実測調査し、「日本庭園史図鑑」・「日本庭園史大系」などを刊行しました。また重森三玲は東福寺方丈庭園・光明院庭園(波心庭)・瑞峯院庭園・松尾大社庭園(松風苑)などを作庭しました。
「都林泉名勝図絵」は1799年(寛政11年)に秋里籬島が刊行しました。「都林泉名勝図絵・全五巻」は京都の庭園や茶亭などを142の写生図と説明文で紹介しています。

【真如院 歴史・簡単概要】
真如院(しんにょいん)は室町時代後期(戦国時代)の1535年(天文4年)に日蓮宗の僧・日映(にちえい)が日蓮宗の大本山で、六条門流の祖山(ろくじょうもんりゅうのそざん)・本圀寺(ほんこくじ)の塔頭(たっちゅう)として創建したと言われています。真如院の名称は「真実常の如し」という言葉に由来していると言われています。しかし翌1536年(天文5年)に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)が京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山を焼き討ちした天文法華の乱(てんぶんほっけのらん・天文法難(てんぶんほうなん))によって焼失し、一時堺に避難しました。永禄年間(1558年~1570年)頃に再建され、1568年(永禄11年)に織田信長(おだのぶなが)が京都に入洛した室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を迎えたと言われています。信長は義昭の為に鱗形(うろこがた)の石を並べた枯山水の庭園を作庭して招いたと言われています。その後1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、寛政年間(1789年~1801年)に再建されました。1949年(昭和24年)に現在の場所に移り、1961年(昭和36年)に作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が庭園を復元しました。
*参考・・・真如院

【真如院庭園の特別公開 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
真如院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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