勝林院の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

勝林院の歴史を時代別年表にまとめ
勝林院の歴史を簡単にまとめています。勝林院は835年(承和2年)に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が天台声明の根本道場として比叡山に創建したと言われています。声明を唐(中国)で学び、この地に伝えたと言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【声明(しょうみょう)】
●声明は経典などに独特の節をつけた仏教音楽とされ、法会儀式などに用いられます。声明はインドから中国、中国から日本に仏教とともに奈良時代(710年~794年)に伝わり、754年(天平勝宝4年)の奈良・東大寺(とうだいじ)の大仏開眼法要の際に用いられた記録が残っているそうです。なお声明は梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)・祭文(さいもん)などとも言われています。
【勝林院の起源・始まり】
●勝林院は835年(承和2年)に第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が天台声明(てんだいしょうみょう)の根本道場として比叡山(ひえいざん)に創建したと言われています。慈覚大師・円仁は経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を唐(中国)で学び、この地に伝えたと言われています。その後荒廃したとも言われています。
●勝林院は1013年(長和2年)に慈覚大師・円仁の9代目弟子で、天台宗の僧・寂源(じゃくげん)が国家安穏の為、法儀声明念仏三昧(ほうぎしょうみょうねんぶつざんまい・魚山流声明)の根本道場として創建したとも言われています。寂源は声明も復興したと言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●1012年(長和元年)に僧坊・法泉坊(宝泉院(ほうせんいん))が建立されました。
●1020年(寛仁4年)に寂源が延暦寺(えんりゃくじ)の僧である覚超・遍救を招請し、本堂で法華八講を開いたと言われています。
●1109年(天仁2年)に融通念仏(ゆうずうねんぶつ)の祖である聖応大師(しょうおうだいし)・良忍(りょうにん)が来迎院(らいごういん)を創建しました。勝林院を中心とする下院と来迎院を中心とする上院は魚山大原寺(ぎょざんだいげんじ)と総称されるようになり、大原の声明は「大原流声明」・「魚山声明」と言われるようになりました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●1186年(文治2年)に第61代天台座主・顕真法印(けんしんほういん)の招請により、浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)と明遍(みょうへん)などの高僧による宗論(大原問答(おおはらもんどう)・大原談義(おおはらだんぎ)が行われました。法然上人は12の難問に念仏を唱えれると極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生できることを示し、本尊・阿弥陀如来(あみだにょうらい)が光を放って正しいことを示した言われ、本堂は「証拠堂」と言われるようになりました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
●1352年(正平7年・文和元年)に禅僧・祖曇首座が押領し、大原寺の僧衆が反抗して離散し、その後大原寺は衰退して僧坊が荒廃しました。
●南北朝時代に大原寺初の大僧正である良雄が室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の後援により、大原寺を再興しました。この頃から大原寺の僧を中心に宮中で先帝の追善する宮中御懺法講を行うようになりました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
●1524年(大永4年)に本堂再建の勧進を募り、本堂が再建されました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●江戸時代前期に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の乳母・春日局(かすがのつぼね)の願により、徳川家光の生母・お江(おごう・崇源院(すうげんいん))の菩提(ぼだい)の為に本堂を再建しました。
●1736年(享保21年)に火災で本堂が焼失し、1754年(宝暦4年)から本堂再建の勧進が始まり、寛永年間(1624年~1645年)に将軍家建立の主旨を述べ、幕府から再建の支援が許可され、1778年(安永7年)に現在の本堂が再建されました。
●江戸時代に4坊の僧坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治維新後に4坊の僧坊が衰退し、実光院(実光坊)・宝泉院(法泉坊)のみが残されました。
●2013年(平成25年)に勝林院開創一千年紀が開かれました。
【勝林院の開山である慈覚大師・円仁】
慈覚大師・円仁は794年(延暦13年)に下野国(栃木)に生まれました。808年(大同3年)に唐(中国)から帰国した天台宗の宗祖である伝教大師・最澄に師事し、その後伝教大師・最澄最期の14年間に仕えました。814年(弘仁5年)に言試(国家試験)に合格し、翌815年(弘仁6年)に得度しました。816年(弘仁7年)に奈良・東大寺で具足戒を受け、822年(弘仁13年)に伝教大師・最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後伝教大師・最澄は亡くなりました。829年(天長6年)から横川に隠棲して苦修練行を続け、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐(中国)に渡りました。慈覚大師・円仁は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。840年(承和7年)に中国・五台山を巡礼して最高峰の標高3,058メートルの北台叶斗峰に登り、その後大興善寺の元政から灌頂を受け、青竜寺の義真からも灌頂を受けました。847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅などを持って帰国し、848年(嘉祥元年)に比叡山に戻り、854年(斉衡元年)に第3代天台座主に就きました。なお慈覚大師・円仁は864年(貞観6年)に亡くなりました。
【勝林院の歴史 備考】
*参考・・・勝林院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia













