法住寺の梅見ごろ2025(時期:3月上旬~下旬頃)
法住寺の梅見ごろ・アクセス・概要
法住寺の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。法住寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月下旬頃です。法住寺では紅梅・白梅・枝垂梅・鶯宿梅などが植えられ、紅梅と龍宮門、白梅と大門、枝垂梅と十三重塔、阿弥陀堂と鶯宿梅などの光景が美しいと言われています。なお例年春につりびな展が行われています。(要確認)(詳細下記参照)
【法住寺の梅見ごろ(例年時期)】
法住寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月下旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)
【法住寺梅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩約5分)、東山七条(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から法住寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
【法住寺の梅見ごろ(例年時期) 概要】
法住寺はあまり知られていない梅の名所です。法住寺の梅見ごろは例年3月上旬頃から3月下旬頃です。
法住寺では境内に紅梅(こうばい)・白梅(はくばい)・枝垂梅(しだれうめ)・鶯宿梅(おうしゅくばい)などが植えられ、紅梅と龍宮門、白梅と大門、枝垂梅と十三重塔、阿弥陀堂と鶯宿梅などの光景が美しいと言われています。龍宮門前に植えられている紅梅は白壁をバックに鮮やかな紅色の花を咲かせます。紅梅は白梅に比べると比較的早咲きになります。法住寺は境内があまり広くないことから境内をじっくり散策しながらお花見を楽しむのがいいかもしれません。
法住寺では例年梅が見ごろを迎える2月下旬頃から3月上旬頃につりびな展が行われています。(要確認)お花見だけでなく、つりびな展も見学しましょう。
法住寺つりびな展
- 鶯宿梅(おうしゅくばい)は梅の園芸品種です。鶯宿梅は香り高く、紅白の花がまじって咲きます。鶯宿梅には一重と八重があります。なお鶯宿梅には故事が残されています。平安時代中期に宮中の清涼殿前の梅が枯れ、貴族・歌人である紀貫之(きのつらゆき)の娘・紀内侍(きのないし)の家の梅の木が移植され、枝に「勅(ちょく)なれば いともかしこし うぐひすの 宿はと問はば いかが答へむ」という歌が結んであったことから第62代・村上天皇が梅の木を返したと言われています。
- つりびな展ではちりめんや古い着物地で作った人形・花・金魚などの飾りをひもに付け、書院3室の天井からぶら下げます。
- 梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系・紅梅系(緋梅系)・豊後系に大きく分類されるそうです。
●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ
【法住寺 歴史・簡単概要】
法住寺は989年(永祚元年)に太政大臣・藤原為光が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘・藤原し子の菩提を弔う為に創建したのが起源と言われています。985年(寛和元年)6月に妻、7月に娘が相次いで亡くなったそうです。その後1032年(長元5年)の火災で焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿を営み、1160年(永暦元年)に新日吉神社、1163年(長寛元年)に三十三間堂(蓮華王院)が創建され、1176年(安元2年)に後白河上皇の女御・建春門院(平滋子)が亡くなると建春門院の御陵として法華堂が建立されました。しかし1183年(寿永2年)に木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)に後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建立され、上皇の御陵に定められました。その後三十三間堂の本坊で、天台三門跡に数えられた妙法院門跡の院家として、法住寺陵と妙法院歴代門跡法親王の墓を守ってきました。
法住寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・法住寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【法住寺梅 備考】
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報