法住寺つりびな展2025/2/(日程時間・・・)
法住寺つりびな展
法住寺つりびな展(日程・時間・・・)を紹介しています。つりびな展は例年3月3日頃に行われています。つりびな展ではちりめんや古い着物地で作った人形・花・金魚などの飾りをひもに付け、書院3室の天井からぶら下げます。なお法住寺に伝わる7段飾りのひな人形や平安時代から行われていた貝あわせなどの遊び道具も展示されます。(要確認)(詳細下記参照)
【法住寺つりびな展2024 日程時間(要確認)】
法住寺つりびな展2024は2024年(令和6年)2月28日(水曜日)~3月3日(日曜日)9:00~16:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法住寺facebook
●京都の寺社では桃の節句にイベントを行なっているところがあります。
京都ひな祭り・桃の節句
【法住寺つりびな展 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩約5分)、東山七条(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から法住寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約10分)
【法住寺つりびな展 歴史・簡単概要】
法住寺つりびな展(つりびなてん)・つり雛展は例年3月3日頃に行われています。
つりびな展ではちりめんや古い着物地で作った人形・花・金魚などの飾りをひもに付け、書院3室の天井からぶら下げます。花は美しい娘になるように、金魚は目(芽)が出るようにとの願いが掛けられています。つりびな展では法住寺に伝わる7段飾りのひな人形や平安時代から行われていた貝あわせなどの遊び道具も展示されます。(要確認)なおつりびな展では写真撮影ができません。(要確認)
- ひな祭り(雛祭り)はかつて上巳(じょうし・じょうみ)の節句である旧暦の3月3日(新暦の4月頃)に行われていたが、1873年(明治6年)の新暦移行に伴って、現在のように3月3日に行なうようになりました。上巳の節句は桃の花が咲く季節だったことから桃の節句とも言われました。なお上巳の節句では元来川で身を浄め、紙などで作った人形(ひとがた)で身体を撫でたり、息を吹き掛けたりして、人形に罪穢(つみけがれ)を移して、水に流すというお祓いの行事が行われていました。その後人形を川に流して、厄災を祓う流し雛(ながしびな)の風習に変わったと言われています。
【法住寺 歴史・簡単概要】
法住寺(ほうじゅうじ)は989年(永祚元年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘・藤原し子(弘徽殿(こきでんの)の女御)の菩提を弔う為に創建したのが起源と言われています。985年(寛和元年)6月に妻、7月に娘が相次いで亡くなったそうです。その後1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、1160年(永暦元年)に新日吉神社、1163年(長寛元年)に三十三間堂(蓮華王院)が創建され、1176年(安元2年)に後白河上皇の女御・建春門院(平滋子(たいらのしげこ))が亡くなると建春門院の御陵として法華堂が建立されました。しかし1183年(寿永2年)に木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)に後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建立され、上皇の御陵に定められました。その後三十三間堂の本坊で、天台三門跡に数えられた妙法院門跡(みょうほういんもんぜき)の院家として、法住寺陵と妙法院歴代門跡法親王の墓を守ってきました。
法住寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・法住寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【法住寺つりびな展 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報