出世稲荷神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

出世稲荷神社の歴史を時代別年表にまとめ
出世稲荷神社の歴史を簡単にまとめています。出世稲荷神社は1587年(天正15年)に豊臣秀吉が聚楽第を造営した際、稲荷神社を勧請したのが起源です。1588年(天正16年)に後陽成天皇が聚楽第に行幸した際に号「出世稲荷」を授けました。(時代別年表・重要人物下記参照)
【伏見稲荷大社・聚楽第】
●伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は711年(和銅4年)に伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受け、稲荷山の三つの峯の平らな場所に稲荷大神(いなりのおおかみ)を祀ったのが起源と言われています。稲荷大神は711年(和銅4年)2月の初午(はつうま)の日に初めて稲荷山に鎮座したとされています。
●聚楽第(じゅらくだい)は1585年(天正13年)に関白に就任した豊臣秀吉(とよとみひでよし)が政庁兼邸宅とする為、1586年(天正14年)2月に造営を開始し、翌1587年(天正15年)9月に完成しました。その後豊臣秀吉が二条第(にじょうだい・妙顕寺城(みょうけんじ))から移り住み、1588年(天正16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が行幸しました。1591年(天正19年)12月に豊臣秀吉が甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に氏長者(家督)と関白職を譲ると豊臣秀次の邸宅になり、翌1592年(天正20年)1月に第107代・後陽成天皇が再度行幸しました。1593年(文禄2年)8月に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が誕生し、1595年(文禄4年)7月に豊臣秀吉が豊臣秀次を高野山に追放して切腹させ、翌8月から豊臣秀吉が聚楽第を徹底的に破却し、建物の一部が伏見城に移されました。
【出世稲荷神社の起源・始まり】
●出世稲荷神社は1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が聚楽第を造営した際、幼い頃から信仰していた稲荷神社を聚楽第の邸内に勧請したのが起源です。なお豊臣秀吉は1588年(天正16年)に母・大政所(おおまんどころ・仲(なか)・天瑞院(てんずいいん))の病気回復を伏見稲荷大社に祈願し、1589年(天正17年)に伏見稲荷大社で楼門を再建しました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
●1588年(天正16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が聚楽第に行幸した際に稲荷社に参拝し、立身出世を遂げた豊臣秀吉に因んで、号「出世稲荷」を賜りました。なお出世稲荷神社は開運出世の福・衣食住の福・地位名望の福・衆人愛敬の福・農工商その他一切の生業に大繁栄の福・延命長寿と病気平癒の福・千客万来の福・武運長久の福・善智識の福・金銀財宝の福という十種の神徳があるとも言われています。
●1596年(文禄5年)に豊臣秀吉が聚楽第を破却し、出世稲荷神社だけが残されました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1663年(寛文3年)に二条城(にじょうじょう)西側の千本通(せんぼんどおり)沿いの千本旧二条付近(京都市上京区千本通竹屋町下ル)に移されました。この地にはかつて平安京大内裏(だいだいり)の大極殿(だいごくでん)入口にあった応天門(おうてんもん)跡と言われています。
●享保年間(1716年~1735年)に社殿が再建されたとも言われています。
●江戸時代後期に庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたと言われています。なお出世稲荷神社は出世開運の神として、大名・公家から庶民まで信仰されたと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治時代以降に千本通界隈が映画興行の街として繁栄し、牧野省三(まきのしょうぞう)・尾上松之助(おのえまつのすけ)が鳥居を寄進しました。
●2012年(平成24年)6月に出世稲荷神社が上京区から左京区の大原に移りました。地域に氏子がおらず、また文化財指定もなかった為、老朽化した社殿の維持が難しくなり、社地を売却して大原に移転しました。
【出世稲荷神社を創建した豊臣秀吉】
関白・豊臣秀吉は1537年(天文6年)に織田信長の足軽・木下弥右衛門と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院)の間に生まれました。尾張国愛知郡中村郷中中村(愛知県名古屋市中村区)で生まれたとも言われています。先ず今川氏の家来で、引馬城の支城・頭陀寺城城主・松下之綱に仕え、1554年(天文23年)頃から戦国大名・織田信長に仕えました。1561年(永禄4年)に浅野長勝の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後数々の戦功を重ねて頭角を現し、1573年(天正元年)に浅井氏が滅亡すると長浜城城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀が織田信長に謀反を起こした本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀を破り、京都の支配権を掌握しました。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破りました。その後四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。ちなみに1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。その後唐(中国)入りを目指し、1592年(天正20年)から文禄・慶長の役が始まりました。なお豊臣秀吉は1598年(慶長3年)に伏見城内で亡くなりました。
【出世稲荷神社の歴史 備考】
*参考・・・出世稲荷神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ