禅定寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

禅定寺の歴史を時代別年表にまとめ

禅定寺の歴史を簡単にまとめています。禅定寺は「禅定寺造営年次目録」によると991年(正暦2年)に東大寺53代別当・平崇上人が私領の山野を卜定し、堂を建立して十一面観音像を安置し、天台宗の寺院として創建したとも言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

禅定寺(アクセス・歴史・・・)

【宇治田原】

●宇治田原は古来から宇治から近江(滋賀)の瀬田(せた)や信楽(しがらき)に抜ける間道で、平安京遷都以前は東海道に通じる軍事上の要路でした。平安時代に宇治が藤原氏一族の別荘地になり、宇治田原は藤原氏一族とゆかりがあったと言われています。
●奈良時代(710年~794年)に久和利郷の地に興福寺(こうふくじ)の末寺・桑在寺(くわりじ)が建立されていました。

【禅定寺の起源・始まり】

●禅定寺は「禅定寺造営年次目録」によると991年(正暦2年)に東大寺(とうだいじ)53代別当・平崇上人(へいそしょうにん)が私領の山野を卜定(ぼくじょう)し、堂を建立して十一面観音(じゅういちめんかんのん)像を安置し、天台宗(てんだいしゅう)の寺院として創建したとも言われています。平崇上人は987年(永延元年)から太政大臣・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の帰依を受けて建立を開始し、990年(正暦元年)に藤原兼家が亡くなったが、991年(正暦2年)に本堂の建立を開始し、995年(長徳元年)に完成したと言われています。平崇上人は桑在寺が建立されていた地に禅定寺を創建し、平崇上人が東大寺(とうだいじ)に建立した子院・正法院の末寺になりました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●993年(正暦4年)に藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・小野道風(おののとうふう)とともに三蹟に数えられる書家で、権大納言・藤原行成(ふじわらのゆきなり)が禅定寺を訪れた際、賢坂付近で気分が悪くなり、五大堂を建立すると願を立てたところ気分が回復したと言われています。ただ五大堂は建立されなかったとも言われています。
●1001年(長保3年)に「禅定寺領田畠流記帳」によると平崇上人が杣山一千町を含む田畠を寄進しました。太政大臣・藤原頼通(ふじわらのよりみち)からも寄進され、不輸租田とされたと言われています。
●1002年(長保4年)に平崇上人が77才で亡くなり、その遺骸が後山に弔われました。同年に2世・利原上人が平崇上人の遺徳を偲んで、四十九日忌を営みました。
●1004年(長保6年)に利原上人が三石の湯釜を五石二斗の大場釜に鋳造し、貴族の沐浴に供しました。
●1071年(延久元年)に別当・覚勢阿闍梨が禅定寺の寺領を1052年(永承7年)に藤原頼通が創建した平等院(びょうどういん)に寄進し、禅定寺が東大寺の正法院から平等院の末寺になったと言われています。
●平安時代中期から後期に藤原頼通やその父で、太政大臣・藤原道長(ふじわらのみちなが)などの藤原氏や貴族の帰依を受け、広大な寺領を有していました。
●1181年(治承5年)に沙弥寂西が願主になって梵鐘が鋳造されました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●1301年(正安3年)に梵鐘が破損し、梵鐘が改鋳されました。
●鎌倉時代以降に近隣と度々境争論が起こりました。滋賀県大津市大石曽束町にあった九条家領(最勝金剛院領)の曽束荘(そつかのしょう)との争いは近世末期まで続きました。
●鎌倉時代末期に本尊・十一面観音(じゅういちめんかんのん)像を祀った五間四面の本堂・三昧堂・毘沙門堂・湯屋などの諸堂が建立されていたと言われています。なお元々、七堂が建立されていたとも言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

●1342年(興国3年・康永元年)五輪塔(宇治田原町指定有形文化財)が建立されました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】

●戦国時代に衰微したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●江戸時代前期に猿丸神社(さるまるじんじゃ)と境界論争があり、その後猿丸神社が現在の場所付近に社地が移されたと言われています。
●1680年(延宝8年)に加賀(石川)・大乗寺(だいじょうじ)を中興した曹洞宗(そうとうしゅう)の僧・月舟宗胡(げっしゅうそうこ)が入寺し、加賀藩家老・本多政長(ほんだまさなが)の援助によって再興し、天台宗から曹洞宗に改めました。
●江戸時代中期に第112代・霊元天皇(れいげんてんおう)が行幸し、勅額を賜りました。
●1691年(元禄4年)に卍山道白(まんざんどうはく)が住したと言われています。
●1719年(享保4年)に仁王門(京都府指定有形文化財)が再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●1979年(昭和54年)に鐘楼が中川武治氏の発願によって鋳造されました。 梵鐘は太平洋戦争中の金属類回収令で供出されていました。
●1990年(平成2年)3月9日に禅定寺一帯が禅定寺京都府歴史的自然環境保全地域(15.60ha)に指定されました。

【禅定寺の開山である平崇上人】

平崇上人は生年が不詳で、925年(延長3年)頃に生まれたとも言われています。その後1002年(長保4年)に77才で亡くなったと言われています。平崇上人は平安時代中期の僧で、994年(正暦5年)から998年(長徳4年)まで華厳宗(けごんしゅう)の大本山・東大寺の第53代別当を務めたと言われています。

【禅定寺の歴史 備考】
*参考・・・禅定寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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