福勝寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

福勝寺の歴史を時代別年表にまとめ
福勝寺の歴史を簡単にまとめています。福勝寺は弘法大師・空海が806年(大同元年)の唐からの帰国後に河内国古市郡中村に創建したのが起源と言われています。弘法大師・空海は青竜寺の恵果から伝授された如意宝珠を伝えたと言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【弘法大師・空海】
●弘法大師・空海は804年(延暦23年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)らとともに遣唐使として唐(中国)に渡り、長安の青竜寺(せいりゅうじ)で学び、806年(大同元年)に帰国しました。弘法大師・空海は20年の義務期間を2年に短縮し、経典・法具などを持て帰国したが、入京を許されなかったことから太宰府・観音寺に住し、809年(大同4年)に入京を許されました。
【福勝寺の起源・始まり】
●福勝寺は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が806年(大同元年)の唐(中国)からの帰国後に河内国古市郡中村(大阪府羽曳野市)に創建したのが起源と言われています。弘法大師・空海は唐(中国)・青竜寺の恵果(えか)から伝授された如意宝珠(にょいほうじゅ)を伝えたと言われています。福勝寺では如意宝珠と歓喜天(かんきてん・聖天(せいてん))の秘法により、大寒から7日間・21座に祈祷された瓢箪が節分会(せつぶんえ)で授与しています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●平安時代に一時荒廃したと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●正嘉年間(1257年~1259年)に醍醐寺(だいごじ)の覚済僧正(かくさいそうじょう・山本僧正)が油小路五条坊門に移して再建しました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))で荒廃したと言われています。
●天文年間(1532年~1555年)以前に室町一条に移ったと言われています。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
●安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が歓喜天(聖天)を篤く信仰し、出陣の度に武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈願して瓢箪(ひょうたん)を奉納しました。戦勝後に瓢箪を持ち帰り、千成瓢箪(せんなりびょうたん)を作って旗印にしました。福勝寺はひょうたん寺(瓢箪寺)とも言われるようになりました。なお豊臣秀吉は天下統一後に自作の木像を奉納し、寺領を寄進したと言われています。
●桃山時代から江戸時代初期に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の勅願寺(ちょくがんじ)になりました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1614年(慶長19年)から1637年(寛永4年)に春日京極の東(寺町通丸太町下る東側)に移りました。
●江戸時代中期に第111代・後西天皇(ごさいてんのう)の勅願寺になりました。後西天皇から名号「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」を賜り、紫宸殿(ししんでん)前に植えられていた左近の桜(さこんのさくら)が分栽されました。福勝寺は桜寺とも言われるようになりました。
●1709年(宝永5年)に現在の場所(出水通千本西入ル)に移ったと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1985年(昭和60年)に「峰の薬師(峰薬師)」とも言われ、京都十二薬師に数えられる本尊・薬師如来(やくしにょらい)が4月15日・16日・17日の3日間だけ御開帳されました。本尊は50年に一度しか開帳されない秘仏とされています。薬師如来は愛知県新城市の鳳来寺の薬師如来とともに利修仙人が造仏した同木・同作とされ、鎌倉時代に奈良・東大寺の大仏を再建した際に俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が有するようになり、その後諸国を遍歴し、福勝寺に安置されるようになりました。
●2005年(平成17年)に平成洛陽三十三所観音が復興されました。
●2012年(平成24年)に平安時代に始まったとも言われる京都十二薬師霊場めぐりが復興されました。
【福勝寺の開山である弘法大師・空海】
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に佐伯直田公と阿刀大足の妹の子として讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたと言われています。789年(延暦8年)に母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)に高野山で亡くなりました。
【福勝寺の歴史 備考】
*参考・・・福勝寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia