雲龍院の梅見ごろ2026(時期:2月中旬~3月中旬頃)
雲龍院の梅見ごろ・アクセス・概要
雲龍院の梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。雲龍院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。雲龍院では参道などに白梅・紅梅などが植えられ、梅と参道・書院などの光景が美しいと言われています。紅梅は禅における悟りの境地を表した丸い悟りの窓がある書院・悟之間からの眺めが美しいと言われています。(詳細下記参照)
【雲龍院の梅見ごろ(例年時期)】
雲龍院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2026(北野天満宮・梅宮大社・・・)
【雲龍院梅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
最寄り駅・バス停・・・泉涌寺道(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から雲龍院は208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR奈良線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)
【雲龍院の梅見ごろ(例年時期) 概要】
雲龍院はあまり知られていない梅の名所です。雲龍院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。
雲龍院では参道などには紅梅(こうぼい)のねずの梅(はねずのうめ)・白梅(はくばい)などが植えられ、梅と参道・書院などの光景が美しいと言われています。紅梅は禅における悟りの境地を表した丸い悟りの窓がある書院・悟之間(さとりのま)からの眺めが美しいと言われています。白梅は入口となる参道に植えられ、梅と鐘楼などの光景が美しいと言われています。ちなみに紅梅は白梅に比べると遅咲きになります。なお雲龍院には早咲きの河津桜(カワヅザクラ)も植えられ、はねずの梅との共演も楽しめる年もあります。
- はねずの梅(八重紅梅)は中国原産のバラ科サクラ属の小高木です。八重紅梅は奈良時代(710年~794年)に遣隋使または遣唐使が中国から伝えたと言われています。はねずの梅の名称は白みをおびた薄い紅色を古来「はねず(朱華・唐棣・棠棣)」と言っていたことに由来しています。日本最古の和歌集「万葉集」の中では「思わじと 言ひてしものを 朱華色の 移ろひやすき わが心かも(大伴坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ)」・「山吹の 匂へる妹が 朱華色の 赤裳の姿 夢にみえつつ(作者不明)」と詠まれています。
- 書院には悟之間・蓮華の間(れんげのま)・大輪の間(たいりんのま)・月窓の間(つきまどのま)・清浄の間(せいじょうのま)などがあります。ちなみに雲龍院には四角い迷いの窓もあります。
●京都で人気の梅名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都梅名所・見ごろ
【雲龍院 歴史・簡単概要】
雲龍院は1372年(建徳3年・応安5年)に北朝第4代・後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐律師を開山として創建されました。隣接していた龍華院とともに創建されたと言われています。1389年(元中6年・康応元年)に北朝第5代・後円融天皇が龍華殿(本堂)を建立し、如法写経を始めました。1405年(応永12年)の盂蘭盆会の夜に諸堂が焼失しました。1429年(正長2年)頃に全安上人が再建しました。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こり、1470年(文明2年)に後光厳天皇、後円融天皇の尊像を除き、全山焼失しました。戦国時代(1493年~1590年)に第103代・後土御門天皇の寄進によって龍華殿(本堂)が再建されました。1502年(文亀2年)に第104代・後柏原天皇から御黒戸御殿が下賜され、妙法修殿と称して写経の道場にしました。江戸時代(1603年~1868年)初期に中興の祖・如周宗師が後円融天皇にゆかりの龍華院を合寺しました。合寺の際、第108代・後水尾天皇から造営費が下賜され、写経の道場が現在の位置に再建しました。1642年(寛永19年)の後円融天皇250回忌の際、後水尾天皇から写経会に用する仏具百余点を賜りました。1646年(正保3年)頃に現在の龍華殿(本堂)が再建されました。
*参考・・・雲龍院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【雲龍院梅 備考】
雲龍院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報




