聴松院梅見ごろ(2月中旬~3月中旬頃)

聴松院梅見ごろ

聴松院梅見ごろ(イベント・・・)情報を紹介しています。聴松院には境内に白梅・紅梅が植えられ、梅と本堂・狛猪などの光景が美しいと言われています。白梅は幹が90度に近いほど曲がり、紅梅と比べると早咲きになります。本堂前に建立されている山門を額縁に見立て、梅などを眺めるのもいいかもしれません。(詳細下記参照)

【聴松院梅見ごろ(要確認)】
聴松院の見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。なお梅の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2020京都梅名所

【聴松院梅・聴松院 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市左京区南禅寺福地町
最寄り駅・バス停・・・南禅寺・永観堂道(徒歩約10分)、東天王町(徒歩約15分)、宮ノ前町(徒歩約15分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から聴松院は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は蹴上駅(徒歩約8分)

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【聴松院梅見ごろ】
聴松院はあまり知られていない梅の名所です。聴松院の見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。聴松院には境内に白梅・紅梅が植えられ、梅と本堂(摩利支天堂)・狛猪などの光景が美しいと言われています。白梅は幹が90度に近いほど曲がり、紅梅と比べると早咲きになります。本堂前に建立されている山門を額縁に見立て、梅などを眺めるのもいいかもしれません。
本堂(摩利支天堂)は本尊・摩利支天を祀っています。なお摩利支天は元(中国)から渡来した臨済宗の僧・清拙正澄(せいせつしょうちょう)が中国から招来したと言われています。清拙正澄が亡くなった建仁寺(けんにんじ)の塔頭・禅居庵(ぜんきょあん)にも摩利支天像が祀られています。
狛猪は阿吽一対が本堂両脇に置かれています。狛猪は聴松院の本尊で、仏法を護る善神・摩利支天(まりしてん)が七頭の猪の上に座していることに由来しています。なお狛猪には「明治二十五年(1892年)」の銘があります。
梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。

【聴松院 歴史・簡単概要】
聴松院(ちょうしょういん)はかつて臨済宗の僧・天境霊致(てんきょうれいち)が建立した南禅寺(なんぜんじ)の塔頭・善住庵(ぜんじゅうあん)があったとも言われています。聴松院は天境霊致の師で、大鑑派(清拙派)の祖・清拙正澄(せいせつしょうちょう)が創建した塔所・瑞松庵(ずいしようあん)が起源とも言われています。室町時代の1453年(享徳2年)に清拙正澄が建仁寺(けんにんじ)の塔頭・雲興庵(こううんあん)跡に祖塔を復興し、檀越で、室町幕府第11代管領・細川満元(ほそかわみつもと)の号に因んで聴松院としました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、1483年(文明15年)に希世霊彦(きせいれいげん)が再興しました。江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)から湯豆腐を提供するようになったとも言われています。なお2007年(平成19年)に湯豆腐料理店は営業を終えたそうです。
聴松院は臨済宗南禅寺派・南禅寺の塔頭です。

【聴松院梅見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
聴松院(アクセス・見どころ・・・)情報

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