聴松院梅見ごろ2025(時期:2月中旬~3月中旬頃)
聴松院梅見ごろ(見頃)
聴松院梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。聴松院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。聴松院には境内に白梅・紅梅が植えられ、梅と本堂・狛猪などの光景が美しいと言われています。白梅は幹が90度に近いほど曲がっています。本堂前に建立されている山門を額縁に見立て、梅などを眺めるのもいいかもしれません。(詳細下記参照)
【聴松院梅見ごろ(例年時期)】
聴松院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都梅見ごろ2025(北野天満宮・梅宮大社・・・)
【聴松院梅 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区南禅寺福地町
最寄り駅・バス停・・・南禅寺・永観堂道(徒歩約10分)、東天王町(徒歩約15分)、宮ノ前町(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から聴松院は5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は蹴上駅(徒歩約8分)
【聴松院梅見ごろ(例年時期) 概要】
聴松院はあまり知られていない梅の名所です。聴松院の梅見ごろは例年2月中旬頃から3月中旬頃です。
聴松院には境内に白梅(はくばい)・紅梅(こうばい)が植えられ、梅と本堂(摩利支天堂(まりしそんてんどう))・狛猪(こまいのしし)などの光景が美しいと言われています。白梅は幹が90度に近いほど曲がり、紅梅と比べると早咲きになります。本堂前に建立されている山門を額縁に見立て、梅などを眺めるのもいいかもしれません。
- 本堂(摩利支天堂)は本尊・摩利支天を祀っています。なお摩利支天は元(中国)から渡来した臨済宗の僧・清拙正澄(せいせつしょうちょう)が中国から招来したと言われています。清拙正澄が亡くなった建仁寺(けんにんじ)の塔頭・禅居庵(ぜんきょあん)にも摩利支天像が祀られています。
- 狛猪は阿吽一対が本堂両脇に置かれています。狛猪は聴松院の本尊で、仏法を護る善神・摩利支天(まりしてん)が七頭の猪の上に座していることに由来しています。なお狛猪には「明治二十五年(1892年)」の銘があります。
- 梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木です。梅は630年(舒明2年)から838年(承和5年)に派遣された遣唐使(けんとうし)が唐(中国)から日本に伝えたと言われています。梅には500種以上の品種があるが、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
- 花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。
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京都梅名所・見ごろ
【聴松院 歴史・簡単概要】
聴松院(ちょうしょういん)はかつて臨済宗(りんざいしゅう)の僧・天境霊致(てんきょうれいち)が建立した南禅寺(なんぜんじ)の塔頭・善住庵(ぜんじゅうあん)があったとも言われています。聴松院は天境霊致の師で、大鑑派(清拙派)の祖・清拙正澄(せいせつしょうちょう)が創建した塔所・瑞松庵(ずいしようあん)が起源とも言われています。室町時代中期の1453年(享徳2年)に清拙正澄が建仁寺(けんにんじ)の塔頭・雲興庵(こううんあん)跡に祖塔を復興し、檀越で、室町幕府第11代管領・細川満元(ほそかわみつもと)の号に因んで聴松院としました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失し、1483年(文明15年)に希世霊彦(きせいれいげん)が再興しました。江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)から湯豆腐を提供するようになったとも言われています。なお2007年(平成19年)に湯豆腐料理店は営業を終えたそうです。
聴松院は臨済宗南禅寺派・南禅寺の塔頭です。
【聴松院梅 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
聴松院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報