月輪寺シャクナゲ見ごろ2025(4月下旬~5月上旬頃)
月輪寺シャクナゲ見ごろ(時期・アクセス・概要)
月輪寺シャクナゲ見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。月輪寺には境内の斜面にホンシャクナゲが分布しています。ホンシャクナゲは根元から幹が分岐して株立ちし、枝は密に混じりあって一連の樹冠を形成し、縦横約10メートル×8メートルの範囲に広がっています。(詳細下記参照)
【月輪寺シャクナゲ見ごろ(例年時期)】
月輪寺のシャクナゲ見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。なおシャクナゲの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都シャクナゲ名所・見ごろ
【月輪寺シャクナゲ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町37
最寄り駅・バス停・・・清滝(徒歩約1時間30分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは72系統(C6乗り場)、84系統(C6乗り場)
京都バス・アクセスダイヤ
【月輪寺 シャクナゲ見ごろ2025・見どころ解説】
月輪寺はシャクナゲの名所です。月輪寺のシャクナゲ見ごろは例年4月下旬頃から5月上旬頃です。
月輪寺には境内の斜面にホンシャクナゲが分布しています。ホンシャクナゲは根元から幹が分岐して株立ちし、枝は密に混じりあって一連の樹冠を形成し、縦横約10メートル×8メートルの範囲に広がっています。ホンシャクナゲは樹高がいずれも4メートル前後で、根元幹周が最大で46センチです。ちなみにホンシャクナゲは明智光秀(あけちみつひで)お手植えで、樹齢約500年とも言われているそうです。なおホンシャクナゲは京都市の天然記念物に指定されています。
ホンシャクナゲ(本石楠花)はツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属の常緑低木で、日本固有種です。ホンシャクナゲは新潟県西部以西の本州と四国の標高300~1,000メートルの山地で、深山の岩場や尾根筋に自生しています。岐阜県大垣市の一之瀬のホンシャクナゲ群落・滋賀県蒲生郡日野町の鎌掛谷ホンシャクナゲ群落が国の天然記念物に指定されています。ホンシャクナゲは樹高が1.5~7メートル、幹が直径10~15センチになります。花冠は径4~5センチの漏斗(ろうと)形で、先が7裂し、紅紫色から淡紅紫色、稀に白色の花を咲かせます。
明智光秀は1528年(享禄元年)に清和源氏・土岐氏(ときし)の支流・明智氏の一族として美濃明智庄で生まれたとも言われています。光秀は斎藤道三に仕え、その後朝倉義景に仕えたと言われています。義景を頼った室町幕府第15代・足利義昭とともに織田信長に赴き、信長の家臣になりました。信長と義昭の間を取り持ち、義昭の上洛に尽力しました。1571年(元亀2年)に比叡山焼き討ちで武功を上げ、坂本城を築城して城主になり、1575年(天正3年)から丹波国攻略を開始し、1580年(天正8年)に丹波一国を与えられ、横山城を改修して福知山城城主になりました。1582年(天正10年)に本能寺の変を起こし、信長を自害させました。しかし山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、落ち武者狩りで負傷して小栗栖で自害しました。
シャクナゲ(石楠花・石南花)はツツジ科シャクナゲ属の常緑低木です。シャクナゲは北半球の亜寒帯から熱帯山地に広い範囲に分布し、特にヒマラヤ周辺に多くの種が分布しています。シャクナゲは原種が19世紀中期にプラントハンターが中国から西欧にもたらし、その花の美しさから世界各地で5千を超す園芸品種が作り出されました。日本にはツクシシャクナゲ・ハクサンシャクナゲ・ホソバシャクナゲ・キバナシャクナゲなどが自生し、ツクシシャクナゲには変種があります。また日本では屋久島原産のヤクシマシャクナゲを使って園芸品種が作り出されています。シャクナゲは樹高約50センチ~約5メートルで、赤・白・黄・ピンクなど変化に富んだ大きく豪華な花を咲かせます。シャクナゲは例年4月下旬頃~5月中旬頃に見ごろを迎えます。
【月輪寺 歴史・簡単概要】
月輪寺は704年(大宝4年)に加賀国(石川)白山の開山で、越の大徳と称される泰澄大師が創建したとも言われています。781年(天応元年)に慶俊僧都が第49代・光仁天皇の勅より、和気清麻呂と協力して中興しました。地中から掘り出された宝鏡の背面に「人天満月輪」の銘があり、寺号「月輪寺」になりました。唐(中国)の五台山に倣って、5カ所の峰に寺院が置かれました。大鷲峰に月輪寺、愛宕山に白雲寺(愛宕神社)、高雄山に神願寺(神護寺)、龍上山に日輪寺、鎌倉山に伝法寺が置かれ、「愛宕五坊」と言われました。平安時代(794年~1185年)中期に口称念仏の祖・空也上人が修行しました。空也上人が龍神から授かったと言われる霊水「龍奇水」が残されています。1202年(建仁2年)に太政大臣・九条兼実が円澄と号して隠棲しました。1207年(承元元年)に浄土宗の宗祖・法然上人と浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が流罪になった際、円澄(九條兼実)を訪ねて別離を惜しみ、それぞれ自ら自身の像(三祖像)を刻んだとも言われています。本堂前の時雨桜は親鸞聖人がお手植したとも言われています。江戸時代末期まで白雲寺(愛宕神社)とともに隆盛したが、明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈により、一時無住になったと言われています。
*参考・・・月輪寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【月輪寺シャクナゲ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
月輪寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報