梅宮大社六斎念仏2025年8月31日(日程時間・・・)
梅宮大社六斎念仏
梅宮大社六斎念仏(日程・時間・・・)を紹介しています。六斎念仏は例年8月の最終日曜日に行われています。六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は嵯峨天皇祭に梅津六斎保存会によって奉納されます。六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。なお嵯峨天皇祭では少年相撲・打楽器演奏・吹奏楽演奏・盆踊りなども奉納されます。(詳細下記参照)
【梅宮大社六斎念仏2025 日程時間(要確認)】
梅宮大社六斎念仏2025は2025年(令和7年)8月31日(日曜日)19:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・梅宮大社ホームページ
【梅宮大社六斎念仏 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
最寄り駅・バス停・・・梅宮大社前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から梅宮大社は28系統(D3乗り場)
*四条河原町からは3系統
*四条烏丸からは3系統、29系統
*河原町丸太町からは3系統
路線・時刻表・運賃チェック
*阪急電鉄嵐山線の場合、最寄り駅は松尾大社駅(徒歩約10分)
【梅宮大社六斎念仏 歴史・簡単概要】
梅宮大社六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は嵯峨天皇祭(さがてんのうさい)に梅津六斎保存会(うめづろくさいほぞんかい)によって奉納されます。なお嵯峨天皇祭では少年相撲・打楽器演奏・吹奏楽演奏・盆踊りなども奉納されます。
六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。六斎念仏は平安時代中期に踊り念仏で知られ、市聖(いちひじり)と言われた空也上人(くうやしょうにん)が始めたとも、鎌倉時代に西方寺(さいほうじ)を中興した道空上人(どうくうしょうにん)が始めたとも言われています。ちなみに六斎念仏の中でも笛などの楽器を使用し、娯楽要素の強い六斎念仏は芸能六斎とも言われています。現在六斎念仏には芸能色がほとんどなく、宗教色が強い干菜寺系(ほしなでらけい)念仏六斎と芸能色が強い空也堂系(くうやどうけい)芸能六斎があります。ただ空也堂系には宗教色が強い念仏六斎もあります。なお六斎念仏は1ヶ月に6日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)ある忌み日・六斎日に行われたことから名付けられました。
嵯峨天皇は786年(延暦5年)10月3日に桓武天皇の第2皇子として生まれ、809年(大同4年)に即位し、弘仁格式(こうにんきゃくしき)・新撰姓氏録(しょうじろく)などを編纂させ、賀茂斎院(かものさいいん)を設置し、蔵人所(くろうどどころ)・検非違使(けびいし)などを設けて律令制の補強し、823年(弘仁14年)に退位して、842年(承和9年)8月24日に亡くなりました。
【梅宮大社 歴史・簡単概要】
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は奈良時代前期に第30代・敏達天皇の後裔で、橘氏の祖・橘諸兄(たちばなのもろえ)の母・県犬養三千代(あがたいぬかいみちよ・橘三千代)が橘氏一門の氏神として山城国相楽郡井出庄(京都府綴喜郡井出町)に祀ったのが起源と言われています。その後第45代・聖武天皇の妃・光明皇后と藤原南家の祖・藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の夫人・牟婁女王(むろじょうおう)が奈良に移し、更に泉川(木津川)の上流・かせ山に移し、平安時代前期に第52代・嵯峨天皇の妃・檀林皇后(橘嘉智子・たちばなのかちこ)が現在の場所に移し、親しく行啓して盛大な祭儀が行われたと言われています。橘嘉智子は嵯峨天皇の妃になったが、子供を授からなかったことから梅宮大社に祈願するとやがて第54代・仁明天皇を授かったとも言われ、子授け・安産の神として信仰されるようになりました。その後「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」では名神大社とされ、祈年祭などでは朝廷から幣帛(へいはく)を賜り、明神二十二社・下八社に加えられました。なお梅宮大社は本殿に酒解神(さかとけのかみ)・大若子神(おおわくこのかみ)・小若子神(こわくこのかみ)・酒解子神(さかとけこのかみ)、相殿に嵯峨天皇・橘嘉智子・仁明天皇・橘清友を祀っています。
*参考・・・梅宮大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【梅宮大社六斎念仏 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
六斎念仏が行われる嵯峨天皇祭では屋台露店が立ち並びます。(要確認)
梅宮大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報