柳谷観音桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)
柳谷観音桜見ごろ(見頃)
柳谷観音桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。柳谷観音の桜見ごろは例年4月上旬頃です。柳谷観音には一帯に平和への願いと戦死した教え子への鎮魂を込めた陽光桜など約130本の桜の木が植えられています。陽光桜は乙訓地域の活性化と魅力ある街づくりに取り組むNPO法人「京おとくに・街おこしネットワーク」が植えたものです。(詳細下記参照)
【柳谷観音桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
柳谷観音の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【柳谷観音桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市浄土谷2
最寄り駅・バス停・・・奥海印寺(徒歩約30分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急京都本線・長岡天神駅から阪急バス
*JR京都線・長岡京駅から阪急バス
阪急バス・アクセスダイヤ
●毎月17日の縁日にはJR長岡京駅・阪急西山天王山駅から臨時シャトルバスが運行されます。(要確認)
【柳谷観音桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
柳谷観音は桜の名所です。柳谷観音の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
柳谷観音には一帯に平和への願いと戦死した教え子への鎮魂を込めた陽光桜(ヨウコウザクラ)など約130本の桜の木が植えられています。陽光桜は乙訓地域の活性化と魅力ある街づくりに取り組むNPO法人「京おとくに・街おこしネットワーク」が植えたものです。
陽光桜は1979年(昭和54年)に寒さに強い染井吉野(ソメイヨシノ)に由来を持つ天城吉野(アマギヨシノ)と台湾原産の暑さに強い寒緋桜(カンヒザクラ)を交雑させて作り出された交雑種(園芸品種)です。陽光桜は花が一重の大輪で、鮮やかなピンク色になります。陽光桜は1981年(昭和56年)に種苗法によって登録されました。陽光桜は太平洋戦争中に青年学校の校庭の桜の下で再び会うことを約束し、戦地に教え子を送り出した先生が戦死した教え子に対する自責の念に駆られ、どこで戦死したか分らない教え子に桜を見せる為、暑い場所でも、寒い場所でも咲く品種を約50年掛けて作り出しました。平和への願いが込められた陽光桜は里親制度によって世界中に広がっているそうです。
NPO法人「京おとくに・街おこしネットワーク」は2008年(平成20年)に設立されました。2007年(平成19年)に「京おとくに・観光文化検定実行委員会」が民間だけの「京おとくに・観光文化検定試験」を実施し、その受験者を中心にNPO法人「京おとくに・街おこしネットワーク」が設立されました。NPO法人「京おとくに・街おこしネットワーク」は西山古道整備事業・乙訓地域の特産品開発事業・乙訓地域の観光総合ガイド事業・花と緑の街おこし事業・町おこしイベントの企画や情報発信に係る事業などを行っています。花と緑の街おこし事業では陽光桜などを植樹しています。
【柳谷観音・楊谷寺 歴史・簡単概要】
柳谷観音(楊谷寺)は寺伝によると平安時代初期の806年(大同元年)に清水寺を創建した延鎮僧都・賢心が創建したとも言われています。延鎮僧都は「西山にて生身の観音様に出会うことができる」という夢告により、清水寺から西山の柳(楊)が生い茂る渓谷に入り、岩上に古来から眼病に霊験あらたかな生身の十一面千手千眼観世音菩薩を見つけ、 その場所に堂宇を建立して観音様を祀り、楊谷寺と称したとも言われています。その後延鎮僧都が清水寺に戻り、811年(弘仁2年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が乙訓寺の別当に任じられ、柳谷観音を参詣したと言われています。弘法大師・空海はある日、目のつぶれた子猿の目を親猿がお堂近くの溜まり水で洗っている姿を目撃し、17日間祈祷したところ子猿の眼が開き、更に祈祷を行った霊水が独鈷水と言われるようになりました。江戸時代に眼の悪かった第112代・霊元天皇が独鈷水で眼病を治癒されたとされ、以後歴代の天皇へ献上されるようになりました。
*参考・・・柳谷観音・楊谷寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【柳谷観音桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
柳谷観音(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2025(清水寺・円山公園・東寺・・・)