淀城跡公園(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
淀城跡公園
淀城跡公園(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。淀城跡公園(淀城跡)の北側約500メートルには桃山時代に関白・豊臣秀吉が側室・淀殿の産所として築城した淀城があったが、子・豊臣秀頼が誕生し、甥・豊臣秀次が謀反の疑いで切腹すると淀城城主・木村重茲も連座で自害し、淀城も廃城にまりました。
【淀城跡公園 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区淀本町
最寄り駅・バス停・・・淀駅(徒歩約4分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪電気鉄道京阪本線
路線・時刻表・運賃チェック
【淀城跡公園 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【淀城跡公園 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【淀城跡公園 歴史・簡単概要】
淀城跡公園(よどじょうあとこうえん)は1968年(昭和43年)に淀城跡の本丸・石垣を利用して整備された面積約1.7ヘクタールの公園です。淀城は「徳川実紀(とくがわじっき)・19世紀前半編纂」によると江戸時代前期の1623年(元和9年)8月に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の命により、松平定綱(まつだいらさだつな)が淀藩に入部を命じられ、その後「山城国淀下津町記録(やましろこくよどしもづちょうきろく)」によると淀水運支配・河村与三右衛門(かわむらよそうえもん)の屋敷跡に江戸幕府の援助によって築城されました。「淀古今真佐子(よどここんまさご)」によると廃城になった伏見城(ふしみじょ)の資材が転用され、二条城(にじょうじょう)の天守を移築して整備され、1625年(寛永2年)にほぼ完成したと言われています。翌1626年(寛永3年)6月に徳川秀忠、同年8月に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が淀城の縄張りを調べに来城したとも言われています。1633年(寛永10年)に松平定綱が備中国に移封され、永井尚政(ながいなおまさ)が入部すると城下町が拡張され、侍屋敷が造営されました。江戸時代中期の1756年(宝暦6年)に落雷で天守や大半の建物を焼失し、江戸幕府は再建に1万両を貸し付けとも言われるが、天守・本丸御殿は再建されませんでした。明治維新後に廃城になり、巨椋池(おぐらいけ)の干拓で地形が大きく変わり、本丸の一部を除いて全て破却されました。なお淀城跡公園は京阪電気鉄道の淀駅高架化事業に伴って再整備の計画があります。
*参考・・・淀城跡公園(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【淀城跡公園 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
淀城跡公園の見どころは本丸石垣・内濠です。淀城址の石碑も見どころです。淀城址の石碑は1923年に稲葉侯御移封二百年記念会が建立しました。淀城址の石碑は高さ約186センチ・幅約130センチ・奥行約40センチです。
【淀城跡公園 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●紅葉見ごろは例年11月中旬頃から12月上旬頃です。淀城の本丸や天守台の石垣周辺にカエデが分布し、紅葉と石垣・堀などの光景が美しいと言われています。石垣は打込み接ぎ乱積み、四隅は算木積みという技法で積まれていす。
淀城跡公園紅葉見ごろ
*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2024(清水寺・東福寺・永観堂・・・)
【淀城跡公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・075-213-1717(京都市観光協会)
【淀城跡公園 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【淀城跡公園 おすすめ散策ルート】
淀城跡公園からのおすすめ散策ルートは東側の宇治川または西側の桂川を散策することです。川沿いを散策すると淀城の立地条件を知ることができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお松尾神社周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。