常照皇寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

常照皇寺

常照皇寺の歴史を時代別年表にまとめ

常照皇寺の歴史を簡単にまとめています。常照皇寺は1362年(正平17年・貞治元年)に光厳法皇(北朝初代・光厳天皇)が創建したとも、光厳法皇が廃寺(無住)だった天台宗の成就寺を改めて創建したたとも言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

常照皇寺(アクセス・歴史・・・)

【成就寺】

●成就寺(じょうじゅじ)は詳細が明確ではないが、三千院(さんぜんいん・梶井門跡(かじいもんぜき))に属する天台宗(てんだいしゅう)の寺院だったと言われています。阿弥陀如来(あみだにょらい)及び両脇侍(きょうじ)像(重要文化財)は平安時代(794年~1185年)後期に造仏され、成就寺ゆかりの仏像とも、光厳法皇(北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう))の念持仏(ねんじぶつ)とも言われています。なお阿弥陀如来及び両脇侍像はヒノキ材の割矧造です。

【常照皇寺の起源・始まり】

●常照皇寺は1362年(正平17年・貞治元年)に光厳法皇(北朝初代・光厳天皇)が創建したとも、光厳法皇が廃寺(無住)だった天台宗の成就寺を改めて創建したたとも言われています。光厳法皇は1352年(正平7年・観応3年)に南朝第2代で、第97代・後村上天皇(ごむらかみてんのう)の大和(奈良)賀名生(あのう)の仮御所・行宮(あんぐう)で落飾(出家)し、1362年(正平17年・貞治元年)に常照皇寺で隠棲したと言われています。光厳法皇は自ら庭園を作庭し、一帯の景色を庭に見立て、裏山を猿帰嶂、滝を白玉泉、山全体を万樹林などと名付けて十勝を選定したと言われています。

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【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

●南北朝時代に北朝第2代・光明天皇(こうみょうてんのう)が兄・光厳法皇のもとを訪れ、御所から持ってきた樹齢650年の九重桜(ここのえざくら)を光厳法皇がお手植えしたとも、兄弟でお手植えしたとも言われています。
常照皇寺桜見ごろ

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●室町時代中期に第102代・後花園天皇(ごはなぞのてんのう)が境内裏山の万樹林や小塩田260石など寄進しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

●1579年(天正7年)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(あけちみつひで)が丹波黒井城(保月城)を攻略した際に焼失し、その後衰退したと言われています。
●安土桃山時代に方丈が再建されたと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●江戸時代前期に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)による寺領の寄進や第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう))の志納「ひねりごうし」などよって再興されました。後水尾天皇が行幸した際、一重の桜と八重の桜が同時に咲く御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)を何度も牛車を返して眺めたと言われています。
●1781年(天明元年)に怡雲庵(いうんあん)が再建されました。
●1788年(天明8年)に末寺7か寺を有していたと言われています。
●江戸時代末期に方丈・庫裏が修築されたと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●1869年(明治2年)に神仏分離令により、北野天満宮に祀られていた舎利塔(しゃっりとう)が移されてきました。
●太平洋戦争後に多くの寺田や資産を失いました。
●1938年(昭和13年)に九重桜が国の天然記念物に指定されました。九重桜は京都府内唯一の国の天然記念物です。
●1994年(平成6年)に多宝小塔が太平洋戦争で戦死した遺族から寄進されました。
●1994年(平成6年)に境内が常照皇寺京都府歴史的自然環境保全地域に指定されました。

【常照皇寺の開山である北朝初代・光厳天皇】

北朝初代・光厳天皇は1313年(正和2年)8月1日に第93代・後伏見天皇と左大臣・西園寺公衡の娘・寧子(広義門院)の間に第3皇子・量仁親王として生まれました。幼少の頃から第95代・花園天皇に輔育されて帝王学を学びました。南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の皇太子・邦良親王が亡くなると鎌倉幕府の支持によって皇太子とされました。1331年(元弘元年)に後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の為に元弘の変で挙兵し、笠置山に遷幸すると光厳天皇に即位し、父・後伏見天皇が院政を行いました。後醍醐天皇の隠岐配流・鎌倉幕府の滅亡を経て、後醍醐天皇が皇位に復すると光厳天皇は廃されて上皇になりました。1335年(建武2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇による建武の新政から離反し、1336年(延元元年・建武3年)に足利尊氏が京都を奪回する際に院宣を与え、同年8月に弟・豊仁親王を北朝第2代・光明天皇に即位させて院政を開始し、光厳上皇の皇子・興仁親王が北朝第3代・崇光天皇を廃されるまで行いました。1351年(正平6年・観応2年)に足利尊氏が一時南朝に降伏すると南朝第2代で、第97代・後村上天皇が崇光天皇を廃し、光厳上皇・光明上皇・崇光上皇は幽閉されて南朝の拠点を転々としました。その後禅僧である夢窓国師・夢窓疎石に帰依し、1352年(文和年・正平7年)に大和(奈良)賀名生で出家しました。その後河内(大阪)の金剛寺に移って孤峰覚明に帰依し、1357年(正平12年・延文2年)に帰京後に禅に帰依しました。晩年に丹波(京都)山国の常照皇寺に隠棲して余生を送りました。なお北朝初代・光厳天皇は1364年(貞治3年)8月5日に崩御しました。

【常照皇寺の歴史 備考】
*参考・・・常照皇寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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