銀閣寺の見どころ完全ガイド|銀閣などの観光スポット解説

銀閣寺見どころ(Ginkaku-ji Temple)

銀閣寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット

銀閣寺は世界遺産に登録された京都屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。銀閣寺には室町幕府8代将軍・足利義政が建てた銀閣と東求堂をはじめ、足利義政が作庭した庭園など多彩な見どころが揃っています。このページでは国宝・重要文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。

【銀閣(国宝)の見どころ解説|銀閣寺最大の見どころ】

銀閣は銀閣寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。銀閣は室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が建て、1階を心空殿(しんくうでん)、2階を潮音閣(ちょうおんかく)と命名しました。銀閣は観音殿(かんのんでん)で、2階に観音菩薩(かんのんぼさつ)坐像を安置しています。銀閣は「わび・さび」と言われる幽玄性を特徴とする東山文化を象徴する建物で、金閣寺の金閣と並ぶ楼閣建築の双璧とされ、写真映えします。また金閣と西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)とともに京の三閣に数えられています。
★銀閣は1489年(長享3年)に足利義政が建てました。同年3月に立柱上棟が行われたが、10月に足利義政が病に倒れ、翌1490年(延徳2年)1月7日に亡くなった為、足利義政は完成を見ることなく亡くなったと言われています。
★銀閣は派手な意匠・装飾を排した簡素な木造2階建てで、1階が住宅風様式、2階が禅宗様式(唐様(からよう))です。屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。古記録によると屋根には18世紀後半頃まで鳳凰(ほうおう)ではなく、宝珠(ほうじゅ)が置かれていました。
★銀閣と言われるようになったのは江戸時代(1603年~1868年)以降です。名前の由来には銀箔を貼る予定だったが、財政難や足利義政の死でできなかった説、外壁の黒漆が日光で銀色に輝いて見えた説などがあります。江戸時代前期の「洛陽名所集」には銀箔に彩られた銀閣があることが記され、江戸時代中期の「山州名跡志」には銀箔がなく、趣から銀閣という旨が記されています。
★2007年(平成19年)の科学的調査により、1度も銀箔が張られていなかったことが判明したことが豆知識です。2階の内外壁に黒漆(くろうるし)、軒(のき)まわりの部材に色鮮やかな彩色文様があったことも分かりました。

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【東求堂(国宝)の見どころ解説|銀閣寺内で最古の建物】

東求堂(とうぐどう)は足利義政が銀閣よりも先に建て、銀閣とともに東山文化を代表する建物で、訪れるべきスポットです。東求堂は足利義政の持仏堂(じぶつどう)で、西方極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主である阿弥陀如来(あみだにょらい)立像を安置する阿弥陀堂として建てられました。東求堂には書斎である同仁斎(どうじんさい)があり、同仁斎には机である付書院(つけしょいん)と物を収納する違棚(ちがいだな)があります。ただ同仁斎は元来、四畳半の茶室だが、足利義政が書斎として使いました。
★東求堂は1486年(文明18年)に足利義政が建て、最古の住宅遺構とも言われ、歴史的価値があります。寛永年間(1624年~1644年)に向月台周辺から現在の場所に曳(ひき)家で移されたと言われています。
★東求堂は入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。同仁斎は日本最古の書院造(しょいんづくり)で、四畳半茶室の起源と言われています。
★東求堂・同仁斎の名称は相国寺79世・横川景三(おうせんけいさん)が候補を選び、足利義政が候補の中から選んだ「東方の人、念仏して西方に生ずるを求む」・「聖人は一視して同仁」に由来しています。横川景三は1489年(長享3年)に足利義政の子で、室町幕府9代将軍・足利義尚が24歳で亡くなって新盆を迎えた際、東求堂から山面を望んで「大」の文字の字形を定め、五山送り火の大文字の起源になったと言われていることが豆知識です。

【庭園(特別名勝・特別史跡)の見どころ解説|池泉回遊式の名園】

庭園は銀閣と並ぶ銀閣寺の見どころで、必ず眺めるべきスポットです。庭園は足利義政が自ら作庭し、足利義政作庭の庭園の中で唯一残された名園とされ、歴史的価値があります。庭園は錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)で、錦鏡池に白鶴島(はっかくとう)があり、大内石などの名石が置かれ、石橋が架けられています。庭園は四方正面の庭で、どの角度からも美しい。
★足利義政は庭園を中心とする山荘を建てることを意図し、自ら指揮して様々な場所から植木や庭石を移植させて作庭しました。また足利義政は女人禁制(にょにんきんせい)の苔寺(西芳寺)の庭園を母・日野重子(ひのしげこ)に見せる為、自ら模して作庭したとも言われています。庭園には足利義政の浄土信仰・蓬莱神仙(ほうらいしんせん)思想が表現されたとも言われています。相国寺の禅僧や河原者(かわらもの)の善阿弥(ぜんあみ)が作庭に関わったと言われています。その後江戸時代に改修され、当初の面影は失われたと言われています。
★庭園はかつて漱蘚亭跡(そうせんていあと)にあった枯山水式(かれさんすいしき)庭園と上下二段の庭園だったと言われています。漱蘚亭跡は1931年(昭和6年)に発掘され、崩れ掛った石組・泉・水流の跡が残されていました。

【方丈(市指定文化財)の見どころ解説|銀閣寺の本堂】

方丈は銀閣寺の本堂で、本尊・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)像や足利義政と妻・日野富子(ひのとみこ)の位牌も安置しています。釈迦牟尼仏は銀閣寺を訪れた際に最初にお参りしたい仏様です。方丈には西の間・室中の間・東の間・上官の間があり、俳人・画家である与謝蕪村(よさぶそん)や文人画家・書家である池大雅(いけのたいが)が描いた襖絵(ふすまえ)が飾られています。
★方丈は寛永年間(1624年~1644年)に再建されたと言われています。

【銀沙灘・向月台の見どころ解説|異彩を放つ造形美】

銀沙灘(ぎんしゃだん・ぎんさだん)・向月台(こうげつだい)は江戸時代に「都名所図会」・「都林泉名勝図会」に掲載され、古くから人気の見どころです。銀沙灘・向月台は白砂でつくられ、異彩を放つた造形美で、写真映えします。銀沙灘は白砂を高さ約35~40センチの波形に盛り上げたものです。銀沙灘は月の光を反射させる為に作られたとも、中国・杭州(こうしゅう)の西湖(せいこ)をモデルにしているとも言われています。向月台は白砂を高さ約1.8メートル・頂部約1.2メートル・底部約3メートルの富士山型(円錐(えんすい)型)に積み上げたものです。向月台は月の光を反射して銀閣を照らすとも、座って上ってくる月を待っていたとも言われています。
★銀沙灘・向月台は安土桃山時代(1573年~1603年)以前からつくられ、江戸時代(1603年~1868年)の修復の際に拡大したと言われています。
★銀沙灘・向月台は原則1ヶ月に1度庭師が整形し、荒天などの場合には臨時に整形されることが豆知識です。

【相君泉・洗月泉の見どころ解説|足利義政ゆかりの名水】

相君泉(そうくんせん)・洗月泉(せんげつせん)は銀閣寺内に湧き出す湧水です。相君泉はお茶の井とも言われ、足利義政が茶の湯に使用し、現在も茶会で使用されています。洗月泉の名称は泉に月が映った時に泉のさざ波が月を洗っているように見えることから名付けられました。

【展望所(展望台)の見どころ解説|銀閣寺の絶景スポット】

展望所(展望台)からは銀閣寺を一望できます。展望所は境内の高台にあり、境内だけでなく、京都市街地も眺めることができます。展望所にはかつて超然亭(ちょうねんてい)があったと言われています。展望所からは紅葉シーズンに紅葉で美しく彩られた境内を眺めることができます。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
銀閣寺見どころ(八幡社・手水鉢・紅葉・・・)

【銀閣寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
●住所:京都府京都市左京区銀閣寺町2
●アクセス:京都駅からはバス「銀閣寺前」下車徒歩約6分、または「銀閣寺道」下車徒歩約10分
*参考・・・銀閣寺(見どころ・アクセス・・・)公式ホームページ

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