宝積寺大厄除追儺式2026年4月18日(鬼くすべ)

宝積寺大厄除追儺式(鬼くすべ)(日程・アクセス・概要)

宝積寺大厄除追儺式(日程時間など)を紹介しています。大厄除追儺式(鬼くすべ)は例年4月の第3土曜日に行われます。大厄除追儺式では呉竹に挟んだ75個の鏡餅が鴨居に掛けられた本堂の扉が閉められ、密閉された堂内で桧葉が焚かれ、邪気を払う煙で鬼を燻して改心させ、蓬の矢と桃の弓で鬼を仁王門の外に追い払います。なお福餅まきも行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【宝積寺大厄除追儺式2026 日程時間(要確認)】
宝積寺大厄除追儺式2026は2026年(令和8年)4月18日(土曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・宝積寺ホームページ

【宝積寺大厄除追儺式 アクセス・マップ】
場所・・・京都府乙訓郡大山崎町銭原1
最寄り駅・バス停・・・山崎駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR京都線

*阪急京都線の場合、最寄り駅は大山崎駅(徒歩約15分)

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【宝積寺大厄除追儺式 歴史・簡単概要】
宝積寺大厄除追儺式(だいやくよけついなしき)・鬼くすべ(おにくすべ・鬼燻)は僧・行基が宝積寺を創建した724年(神亀元年)から行われているとも言われています。行基は706年(慶雲3年)に疫病が流行した際に第42代・文武天皇に疫病退散の修法を命じられたとも言われています。なお大厄除追儺式では鬼が鏡餅に写る自分の顔の醜さに驚き、恐れて退散することにより、厄除けや開運を祈願します。
大厄除追儺式では先ず山伏・鬼・七福神・福男・稚児などの行列が仁王門から本堂に向かいます。その後呉竹に挟んだ75個の鏡餅が鴨居に掛けられた本堂の扉が閉められ、密閉された堂内で桧葉(ひば)が焚かれ、邪気を払う煙で鬼を燻して改心させ、蓬(よもぎ)の矢と桃の弓で鬼を仁王門の外に追い払います。大厄除追儺式では健康・智恵・金運の三福が授かる福餅まきも七福神などによって行われます。(要確認)
追儺は平安時代初期から大晦日に宮中で行われている鬼払いの儀式です。追儺は鬼やらい・鬼遣らい・儺(な)やらい・鬼儺・大儺(たいだ)・駆儺(くだ)などとも言われています。追儺では黄金四つ目の面を付け、右手に矛、左手に楯を持った方相氏(ほうそうし)などが大内裏の中を「鬼やらう」と大声を掛けながら鬼を追い払って回りました。ただその後方相氏は追い払う側から追い払われる側に変わったそうです。なお追儺は文武天皇(697年~707年) の時代に中国から伝わったとも言われています。

【宝積寺 歴史・簡単概要】
宝積寺・宝寺は寺伝によると724年(神亀元年)に僧・行基が第45代・聖武天皇の勅願によって創建したと言われています。聖武天皇が龍神から授けられたと言われる打出と小槌が小槌宮に祀られています。その後奈良時代に本尊・大黒天神を天竺から招いて祀ったと言われています。725年(神亀2年)に行基は淀川に山崎橋を架け、山崎橋を管理する橋寺として山崎院を創建したと言われています。784年(延暦3年)に洪水で橋が流出した際、1人の翁が現れて水上を歩くと見事に橋が復元されました。一条の光明とともに宝積寺の厨子の中に入り、本尊・十一面観世音菩薩が翁に化身して橋を架けたと評判になり、橋架観音と言われるようになりました。長徳年間(995年~999年)に天台宗の僧・寂昭が中興したと言われています。1232年(貞永元年)に火災で諸堂が焼失したと言われています。1388年(元中5年・嘉慶2年)に北朝第6代で、第100代・後小松天皇の勅願所になりました。南北朝時代に塔頭が64坊ありました。1582年(天正10年)の山崎の戦いの際、関白・豊臣秀吉が本陣を置き、その後天王山に築城された山崎城に取り込まれ、山崎城は宝寺城とも言われました。1604年(慶長9年)に三重塔(重要文化財)が建立されました。三重搭は豊臣秀吉が一夜で建立したとも言われ、三重搭は一夜の塔とも言われています。1605年(慶長11年)に豊臣家が本堂を改築しました。
*参考・・・宝積寺(アクセス・歴史・・・)

【宝積寺大厄除追儺式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
宝積寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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