光明寺の桜見ごろ2026(時期:4月上旬頃)長岡京

光明寺桜

光明寺の桜見ごろ(時期・アクセス・概要)

光明寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。光明寺には山内に染井吉野・枝垂桜・山桜などが植えられ、桜と総門・女人坂(表参道)・御影堂・阿弥陀堂などの光景が美しいと言われています。光明寺は面積約6.6ヘクタールの山内に32棟の堂塔が建立され、散策しながら桜や堂塔を見ることができます。(詳細下記参照)

【光明寺の桜見ごろ(例年時期)・2026年開花満開予測】
光明寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2026年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
京都桜見ごろ2026(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

【光明寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
最寄り駅・バス停・・・旭が丘ホーム前(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*阪急電鉄京都本線・長岡天神駅からは22系統
*JR・長岡京駅からは20系統、22系統
阪急バス・アクセスダイヤ

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【光明寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
光明寺はあまり知られていない桜の名所です。光明寺の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
光明寺には山内に染井吉野(ソメイヨシノ)・枝垂桜(シダレザクラ)・山桜(ヤマザクラ)などが植えられ、桜と総門・女人坂(表参道)・御影堂(本堂)・阿弥陀堂などの光景が美しいと言われています。光明寺は面積約6.6ヘクタールの山内に32棟の堂塔が建立され、散策しながら桜や堂塔を見ることができます。ちなみに32棟の堂塔の内、17棟が長岡京市の文化財に指定されています。
総門は1845年(天保16年)に建立されました。総門は光明寺の正面にある高麗門です。総門は春に桜、秋に紅葉によって彩られます。
女人坂(表参道)は総門から本堂(御影堂)を結ぶ坂道です。女人坂は女性やお年寄りでも上れるように傾斜が緩やかなことから女人坂とも言われています。ちなみに本堂は1754年(宝暦4年)に建立され、法然上人が自ら作った「張子の御影」を祀っています。
御影堂(本堂)は江戸時代中期の1753年(宝暦4年)に再建されました。御影堂は浄土宗の開祖・法然上人が自ら作った「張子の御影」を祀っています。御影堂は大きさが四方18間(約33メートル)です。御影堂は総欅造りで、入母屋造の瓦葺きです。
阿弥陀堂は江戸時代後期の1799年(寛政11年)に再建されました。阿弥陀堂は本尊・丈六の阿弥陀如来を安置しています。阿弥陀堂は四方9間です。阿弥陀堂は総檜造で、入母屋造の瓦葺きです。
染井吉野(ソメイヨシノ)は江戸時代末期に東京染井村の植木職人が江戸彼岸と大島桜を交配させて生み出したと言われています。その後明治時代初期から日本各地に広まりました。なお染井吉野は当初桜の名所である奈良吉野山に因んで、吉野・吉野桜と言われていたが、その後染井村から染井吉野と言われるようになりました。
桜(染井吉野)は2月1日以降、毎日の最高気温の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になると言われています。また地域によって差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になると言われています。

●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
京都桜名所・見ごろ(嵐山・仁和寺・醍醐寺・・・)

【光明寺 歴史・簡単概要】
光明寺は1175年(承安5年)に浄土宗の宗祖・法然上人が43歳の時、日本で最初に念仏の教えを説き、立教開宗の地と言われています。また念仏の教えを説いた地から「浄土門根元地」と言われています。法然上人は24歳の時に奈良(大和)に学匠となる師を求めて比叡山を下り、奈良に向かう途中に粟生野の村役・高橋茂右衛門宅で一夜の宿を借り、20年後に約束通りに粟生野で念仏の法門を説いたと言われています。光明寺は1198年(建久9年)に法然上人の弟子・法力房蓮生(熊谷次郎直実)が法然上人を開山に念仏三昧堂を法然上人ゆかりの粟生野に建立したのが起源と言われています。1212年(建暦2年)に法然上人が亡くなり、1227年(嘉禄3年)に比叡山の衆徒が法然上人の墳墓を暴いて遺骸を鴨川に流す企てである嘉禄の法難が起こり、法然上人の遺弟は遺骸を広隆寺の来迎房円空のもとに移して防ぎました。1228年(安貞2年)に法然上人の石棺から数条の光明が放たれ、粟生野の念仏三昧院を照らしたことから遺骸を念仏三昧院に移して荼毘にふしました。遺骨は御本廟に奉安し、その上に石塔を建てて廟堂を建立しました。1232年(貞永元年)に第87代・四条天皇から勅額「光明寺」を賜り、寺号を光明寺を改めました。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こり、兵火に見舞われたと言われています。1507年(永正4年)に第104代・後柏原天皇から西山一宗の第一寺として綸旨を賜り、1563年(永禄6年)に第106代・正親町天皇から「浄土門根元地」の綸旨を賜りました。元亀年間(1570年~1573年)・天正年間(1573年~1592年)に兵火に見舞われ、衰微しました。1651年(慶安4年)に中興・倍山俊意が入寺し、伽藍が再建され、「光明寺絵縁起」が制作され、檀林が復興されました。
*参考・・・光明寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【光明寺桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
光明寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都桜ライトアップ2026(清水寺・円山公園・東寺・・・)

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