雨引神社城屋の揚松明2024年8月14日(日程時間・・・)

雨引神社城屋の揚松明

雨引神社城屋の揚松明(日程・時間・・・)を紹介しています。城屋の揚松明は例年8月14日に行われます。城屋の揚松明では大蛇を模して境内にたてられた高さ約16メートルの大松明に持っている長さ約16センチの小松明を叫びながら投げます。大松明が充分に燃え上がると大松明が倒されます。(詳細下記参照)

【雨引神社城屋の揚松明2024 日程時間(要確認)】
雨引神社城屋の揚松明2024は2024年(令和6年)8月14日(水曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・舞鶴観光ホームページ

【雨引神社城屋の揚松明 アクセス・マップ】
場所・・・京都府舞鶴市城屋879
最寄り駅・バス停・・・西舞鶴駅(徒歩約40分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR舞鶴線・京都丹後鉄道宮舞線
路線・時刻表・運賃チェック

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【雨引神社城屋の揚松明 歴史・簡単概要】
雨引神社城屋の揚松明(じょうやのあげたいまつ)は戦国時代(室町時代後期)に森脇宗坡(もりわきそうは)の娘を飲み込んだ大蛇を退治したのが起源とも、水を司る神である蛇を鎮める儀式が起源とも言われています。城屋の揚松明は江戸時代中期の史料「田辺旧語集・1735年(享保20年)」に「大松明の祭りめずらしき祭りにて年の豊凶を試」と記され、古くから行われていたと言われています。城屋の揚松明は豊作を祈願する為に例年8月14日に行われています。ちなみに城屋の揚松明は現在、20:00頃から行われているが、かつて00:00頃から行われていたそうです。なお城屋の揚松明は京都府無形民俗文化財に指定されています。
城屋の揚松明では先ず氏子の少年達が集まり、雨引神社前を流れる高野川でで身を清め、大蛇を模して境内にたてられた高さ約16メートルの大松明に持っている長さ約16センチ(5丈3尺)の小松明を叫びながら投げます。大松明が充分に燃え上がると大松明が倒されます。小松明が闇の中で放物線を描き、大松明が燃え上がり、火の粉を散らして倒される光景が幻想的だと言われています。
大蛇を退治した伝説は戦国時代(室町時代後期)にこの地を郷士(女布城城主)・森脇宗坡が治めていました。森脇宗坡の娘は隣村に嫁いでいたが、里帰りの為に女布城に向かっていると山中の日浦ヶ谷で大蛇に飲み込まれました。森脇宗坡は娘の敵(かたき)を討つ為に高野川上流部に位置する蛇ヶ池に向かい、死闘の末に炎を吐く大蛇を退治したと言われています。なお城屋の揚松明が夜空を焦がす様子は大蛇が火を吐く姿とも、退治された大蛇の断末魔の姿とも言われているそうです。

【雨引神社 歴史・簡単概要】
雨引神社は京都府舞鶴市城屋にあります。雨引神社は境内の石碑によると古代の先祖は農耕が主で、水が不可欠だったことから旱魃を憂って、水の分配を司る神である水分の神を氏神として祀り、豊作を祈願したのが起源と言われています。その後1553年(弘治2年)に丹後国守護・一色義幸の遺臣で、女布の郷士・森脇宗坡が娘を飲み込んだ大蛇を退治し、雨引神社に合祀したと言われ、雨引神社は別名、蛇神様とも言われています。ちなみに頭部が雨引神社、胴体が中之森神社(舞鶴市野村寺)、尾が尾森神社(舞鶴市高野由里)に祀られたと言われています。雨引神社では古くから雨乞いの為に火を焚く習慣があったが、大蛇を合祀してからは揚松明が行われるようになったと言われています。なお雨引神社では高野川を約3キロほど上流に遡った場所に雨引神社奥の院があり、更にその奥に蛇が池もあります。
*参考・・・雨引神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【雨引神社城屋の揚松明 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
雨引神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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