神応寺初寅祭2025年1月9日(日程時間・・・)
神応寺初寅祭
神応寺初寅祭(日程・時間・・・)を紹介しています。初寅祭は例年1月の最初の寅の日に行われています。初寅祭では毘沙門天に祈願し、無量の福徳を授かります。初寅祭では参拝者に昆布茶の接待が行われたり、福引が行われたり、そわかせんべいの配布などが行われたりします。(要確認)例年8月31日に毘沙門天大祭も行っています。(詳細下記参照)
【神応寺初寅祭2025 日程時間(要確認)】
神応寺初寅祭2025は2025年(令和7年)1月9日(木曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・神応寺ホームページ
【神応寺初寅祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市千歳町毘沙門奥条17
最寄り駅・バス停・・・毘沙門(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR亀岡駅からふるさとバス
路線・時刻表・運賃チェック
【神応寺初寅祭 歴史・簡単概要】
神応寺初寅祭(はつとらさい)・年頭祈願祭は例年1月の最初の寅の日に行われています。初寅祭はかつて寅の日寅の刻に行われていたが、現在は寅の日6:00頃から行われています。ちなみに神応寺では例年8月31日に毘沙門天大祭も行っています。なお神応寺は初寅さんと言われ、古くから住民に親しまれています。
初寅祭では毘沙門天(びしゃもんてん)に祈願し、無量の福徳を授かります。初寅祭では参拝者に昆布茶の接待が行われたり、福引が行われたり、そわかせんべいの配布などが行われたりします。(要確認)そわかせんべいには「おんにこにこ腹立てまいぞそわかせんべい」と書かれているそうです。
神応寺では丹波七福神めぐりを行うのもおすすめです。丹波七福神めぐりでは第1番(毘沙門区)・神応寺の毘沙門天、第2番(国分区)・養仙寺(ようせんじ)の布袋尊(ほていそん)、第3番(江島里区)・蔵宝寺(ぞうほうじ)の大黒天(だいこくてん)、第4番(中区)・金光寺(こんこうじ)の弁財天(べんざいてん)、第5番(北谷区)・耕雲寺(こううんじ)の恵比寿(えびす)、第6番(出雲区)・極楽寺(ごくらくじ)の寿老人(じゅろじん)、第7番(小口区)・東光寺(とうこうじ)の福禄寿(ふくろくじゅ)を巡ります。なお丹波七福神めぐりでは第1番の神応寺から第7番の東光寺まで約5キロのコースが設定され、日本一早まわりの七福神と言われています。
毘沙門天は天部(てんぶ)の仏神で、多聞天(たもんてん)とも言われています。毘沙門天は北方守護の武神とされ、東方の持国天(じこくてん)・南方の増長天(ぞうじょうてん)・西方の広目天(こうもくてん)とともに四天王に数えられています。毘沙門天は室町時代から恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・弁財天(べんざいてん)・寿老人(じゅろうじん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・布袋(ほてい)とともに七福神に数えられ、招福と勝負の神とされています。
【神応寺 歴史・簡単概要】
神応寺(じんのうじ)・神應寺は京都府亀岡市千歳町毘沙門奥条にあります。神応寺は起源が明確ではありません。江戸時代末期に火災によって古文書が焼失しました。神応寺は寺伝によると京都府八幡市にある神応寺の別院として創建されたとも言われています。ちなみに京都府八幡市の神応寺は平安時代前期の860年(貞観2年)に石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)創建の起源となった南都(奈良)大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が石清水八幡宮が祀られている男山(おとこやま)北麓に創建しました。神応寺は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像を祀っています。
神応寺に祀られている毘沙門天(びしゃもんてん)は古(いにしえに)の寅の日に牛松ヶ谷の大岩へ天降り、住民が百足山(むかでやま)に産土神(うぶすながみ)として勧請して毘沙門堂に祀り、この地は毘沙門村と称されるようになったと言われています。戦国時代(室町時代後期)の1578年(天正6年)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(あけちみつひで)が丹波統治の拠点として亀山城(亀岡城)の築城を開始すると毘沙門堂が亡失したが、その後再建され、1873年(明治6年)に神応寺の境内に遷されたと言われています。
神応寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・神応寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【神応寺初寅祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
神応寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報