足利義満など足利将軍家(祇園祭)

足利将軍家

祇園祭は南北朝時代の1378年(天授4年・永和4年)に猿楽師・世阿弥とともに祇園祭を見物したと言われる室町幕府3代将軍・足利義満など足利将軍家と深いゆかりがあります。足利将軍家では久世舞を車の上で演じる久世舞車を祇園祭に調進していました。祇園祭は応仁の乱によって一時途絶えたが、1500年(明応9年)に室町幕府の命によって再興されました。

【祇園祭 日程】
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり) から7月31日の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2023日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年6月14日に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

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【祇園祭 室町幕府3代将軍・足利義満】
祇園祭は南北朝時代の1378年(天授4年・永和4年)に猿楽師(さるがくし)・世阿弥(ぜあみ)とともに四条東洞院に桟敷を設けて祇園祭を見物したと言われる室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)など足利将軍家と深いゆかりがあります。ちなみに祇園祭では神事である神輿渡御(神幸祭・還幸祭)が重要な行事であるが、室町幕府が成立した南北朝時代頃から次第に祭礼への関心が山鉾巡行に移っていき、足利将軍家でも桟敷を設け、神輿渡御や山鉾を見物していたと言われています。鎌倉時代後期から南北朝時代の真言宗(しんごんしゅう)の僧・歌人である賢俊が記した「賢俊僧正日記(けんしゅんそうじょうにっき)」の1355年(文和4年)6月14日の条に「将軍(足利尊氏)・羽林(足利義詮)所望之間、祇園会棧敷用意、御台(平登子(足利尊氏の妻で、足利義詮の母))同入御、三条烏丸南頬也、面七間打之」と記され、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)とその子で、2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)らが桟敷で祇園祭の神幸祭(しんこうさい)を見物したことが記されています。また南北朝時代から室町時代初期の公卿(くぎょう)・東坊城秀長(ひがしぼうじょうひでなが)が記した「迎陽記(こうようき)」の1380年(康暦2年)6月14日の条に「今日祇園会也、大樹(足利義満)御棧、敷土岐大膳大夫入道善忠用意之、十間(五間女中・三間御座・二間近習輩)、又二間(近習并善忠・若党等)、也、」と記され、祇園祭の還幸祭(かんこうさい)を見物したことが記されています。足利将軍家では久世舞を車の上で演じる久世舞車(くせまいくるま)を祇園祭に調進していました。久世舞車は当時に流行していた芸能・久世舞を車の上で演じるものです。久世舞車は南北朝時代の1364年(正平19年・貞治3年)が祇園祭での初見で、山鉾の起源とも言われています。久世舞は曲舞などとも書かれ、舞々(まいまい)・舞(まい)などとも言われました。久世舞は鎌倉時代末期に記録が現れ、南北朝時代から室町時代に流行した中世芸能です。久世舞は白拍子舞(しらびょうしまい)を母体とし、鼓に合わせてリズミカルに謡いつつ、扇を持って軽々と舞いました。久世舞では男は折烏帽子(おりえぼし)に直垂(ひたたれ)・大口(おおくち)姿、女と稚児(ちご)は立烏帽子(たてえぼし)に水干(すいかん)・大口姿の男装で演じました。なお祇園祭は室町時代中期の1467年(応仁元年)から勃発した応仁の乱(おうにんのらん)によって33年間にわたって一時途絶えたが、1500年(明応9年)に室町幕府の命によって再興され、「祇園社記」によると6月7日に26基の山鉾・14日に10基の山鉾が巡行したことが記されています。
●室町幕府3代将軍・足利義満は南北朝時代の1358年(正平13年・延文3年)8月22日に室町幕府2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)と側室・紀良子(きのりょうし)の間に生まれました。紀良子は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の検校(けんこう)・善法寺通清(ぜんぽうじみちきよ)の娘で、第84代・順徳天皇(じゅんとくてんのう)の玄孫(やしゃご)にあたり、足利義満は「春王」と名付けられました。長男ではなかったが、嫡男として扱われ、1366年(正平21年・貞治5年)に北朝第4代・後光厳天皇(ごこうげんてんのう)から「義満」の名を賜り、従五位下(じゅごいげ)に叙せられました。1367年(正平22年・貞治6年)に父・足利義詮が亡くなると10歳で将軍家の家督を継ぎ、1368年(正平23年・応安元年)に元服し、1369年(正平24年・応安2年)に征夷大将軍宣下を受け、室町幕府3代将軍になりました。1374年(文中3年・応安7年)に日野業子(ひのなりこ)を正室に迎えました。1378年(天授4年・永和4年)に邸宅を三条坊門から北小路室町に移して幕府の政庁とし、幕府(室町第(むろまちだい))は花の御所とも言われました。1382年(弘和2年・永徳2年)に相国寺(しょうこくじ)の建立を開始し、その後禅の修行場として相国寺の塔頭(たちゅう)・鹿苑院(ろくおんじ・金閣寺(きんかくじ))も建立しました。1392年(元中9年・明徳3年)に南北朝の合一を果たし、58年にわたる朝廷の分裂を終結させました。1394年(応永元年)に将軍職を子・足利義持(あしかがよしもち)に譲ったが、その後も実権は手放さずに金閣寺の前身である北山山荘で政務を執りました。北山山荘は北山殿(きたやまどの)・北山第(きたやまてい)とも言われ、その規模は御所に匹敵し、政治の中枢が全て集約されていました。また北山山荘は足利義満が開花させた北山文化の象徴でもありました。1395年(応永2年)に出家して「道義」と号しました。なお足利義満は1408年(応永15年)5月31日に亡くなりました。

【祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2023日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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