毘沙門堂桜見ごろ2025(時期:4月上旬頃)山科
毘沙門堂桜見ごろ(見頃)
毘沙門堂桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。毘沙門堂の桜見ごろは例年4月上旬頃です。毘沙門堂は般若桜や染井吉野・枝垂桜・糸桜など約50本の桜の木が植えられ、宸殿近く般若桜・一切経蔵近くの枝垂桜などが美しいと言われています。桜の見ごろに観桜会を行っています。(要確認)(詳細下記参照)
【毘沙門堂桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
毘沙門堂の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
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【毘沙門堂桜 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
最寄り駅・バス停・・・山科駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道本線
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は山科駅(徒歩約20分)
【毘沙門堂桜見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
毘沙門堂は桜の名所です。毘沙門堂の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
毘沙門堂は般若桜(はんにゃざくら)や染井吉野(ソメイヨシノ)・枝垂桜(シダレザクラ)・糸桜(イトザクラ)・御衣黄(ギョイコウ)など約50本の桜の木が植えられ、宸殿(しんでん)近く般若桜・一切経蔵近くの枝垂桜などが美しいと言われています。般若桜は樹齢150年以上で、樹高約10メートル・枝張り約30メートルです。般若桜は優美な姿で愛され、「毘沙門しだれ」・「一目千両(ひとめせんりょう)」などとも言われています。
毘沙門堂では桜の見ごろに観桜会を行っています。(要確認)お茶を味わいながらお花見を楽しむのもいいかもしれません。なお観桜会は30年以上前から行われているそうです。
毘沙門堂観桜会
- 毘沙門堂は古くから桜の名所で、小倉百人一首の撰者・藤原定家(ふじわらのていか)が記した「名月記(1180年(治承4年)~1235年(嘉禎元年))」には「毘沙門堂花半ば開く」と記し、花見に訪れたことが記録されています。ただ当時の毘沙門堂は現在と違う場所にありました。
- 般若桜は江戸時代から受け継がれ、現在の般若桜は5代目とも言われています。般若桜の名称は地元有志である般若会の方々によって手入れされていたことから般若桜と名付けられたそうです。般若桜は毘沙門しだれなどとも言われています。
- 宸殿は1686年(貞享3年)に第111代・後西天皇の皇子で、第3世門主・公弁法親王が後西天皇の旧殿を賜り、1693年(元禄6年)に移築しました。一切経蔵は1682年(天和2年)に建立されたと言われています。
- 観桜会は例年4月8日に近い日曜日に行われ、見ごろを迎えた桜を愛でます。観桜会では茶席(有料)が設けられ、琴などが演奏されます。(要確認)かつては京都島原・太夫が琴を演奏したり、舞ったりしました。
●京都で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
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【毘沙門堂 歴史・簡単概要】
毘沙門堂(びしゃもんどう)は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基(ぎょうき)が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後795年(延暦14年)に第50代・桓武天皇が行幸し、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が自ら刻んだ毘沙門天を奉献したと言われています。1160年(平治元年)の平治の乱によって焼失したが、鎌倉時代初期に平親範(たいらのちかのり)が平家ゆかりの3つの寺院(平等寺・尊重寺・護法寺)を合寺して再興しました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などによって焼失しました。1665年(寛文5年)に天海大僧正(てんかいだいそうじょう)とその弟子・公海大僧正(こうかいだいそうじょう)が現在の場所に再興し、その後第111代・後西天皇の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)が入寺して門跡寺院になりました。
*参考・・・毘沙門堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【毘沙門堂桜 備考】
毘沙門堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
*京都の桜名所では桜の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
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