毘沙門堂観桜会2025/4/(日程時間・・・)
毘沙門堂観桜会
毘沙門堂観桜会(日程・時間・・・)を紹介しています。観桜会は例年4月8日に近い日曜日に行われています。観桜会では境内に植えられている枝垂桜・染井吉野など約50本の桜を愛でます。宸殿(しんでん)近くの枝垂桜は般若桜(はんにゃざくら)とも、毘沙門しだれとも言われ、樹齢150年以上で、高さ約10メートル・枝張り約30メートルです。(詳細下記参照)
【毘沙門堂観桜会2024 日程時間(要確認)】
毘沙門堂観桜会2024は2024年(令和6年)4月7日(日曜日)10:00~15:00に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・毘沙門堂ホームページ
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【毘沙門堂観桜会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
最寄り駅・バス停・・・山科駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道本線
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は山科駅(徒歩約20分)
【毘沙門堂観桜会 歴史・簡単概要】
毘沙門堂観桜会(かんおうかい)では境内に植えられている枝垂桜・染井吉野など約50本の桜を愛でます。ちなみに桜は例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。なお宸殿(しんでん)近くの枝垂桜は般若桜(はんにゃざくら)とも、毘沙門しだれとも言われ、樹齢150年以上です。般若桜は高さ約10メートル・枝張り約30メートルで、現在5代目と言われています。
観桜会では茶席(有料)が設けられ、琴などが演奏されます。かつては京都島原・司太夫が琴を演奏し、葵太夫が舞いました。
枝垂桜はエドヒガンなどの枝垂性品種です。枝垂桜は枝が柔らかく、長い枝が垂れる特徴があり、糸桜とも言われています。なお枝垂桜は京都府の府花に指定されています。
染井吉野は江戸時代末期に東京染井村の植木職人がエドヒガンとオオシマザクラを交配させて生み出したと言われています。その後明治時代初期から日本各地に広まりました。ちなみに染井吉野は当初桜の名所である奈良吉野山に因んで、吉野・吉野桜と言われていたが、その後染井村から染井吉野になったそうです。
琴は日本の伝統楽器です。琴には琴(きん)・箏(そう)・一絃琴(須磨琴)・二絃琴(八雲琴)・大正琴などがあります。なお琴は古来から存在し、登呂遺跡などの弥生時代の遺跡から残片が見つかたり、日本最古の歴史書・古事記に琴を弾く場面が記されているそうです。
【毘沙門堂 歴史・簡単概要】
毘沙門堂(びしゃもんどう)・毘沙門堂門跡は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後794年(延暦13年)の平安京遷都後の795年(延暦14年)に第50代・桓武天皇が行幸し、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が自ら刻んだ毘沙門天を奉献したと言われています。1160年(平治元年)の平治の乱で焼失して荒廃したが、鎌倉時代初期に平親範(たいらのちかのり)が平家ゆかりの3つの寺院(平等寺・尊重寺・護法寺)を合寺して再興しました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失したりしました。1665年(寛文5年)に天海大僧正(てんかいだいそうじょう)とその弟子・公海大僧正(こうかいだいそうじょう)が現在の場所に再興し、その後第111代・後西天皇の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)が入寺して門跡寺院になりました。なお本尊である毘沙門天は伝教大師・最澄が比叡山延暦寺・根本中堂の本尊・薬師如来の余材を自ら刻んだと言われています。
毘沙門堂は天台宗の寺院です。
*参考・・・毘沙門堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【毘沙門堂観桜会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
毘沙門堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報