大将軍八神社節分星祭2026年2月3日(古神札焚上式)
大将軍八神社節分星祭(日程・アクセス・概要)
大将軍八神社節分星祭(日程時間など)を紹介しています。節分星祭は例年節分(立春の前日)に行われています。節分星祭では古神札焚上式などが行われます。古神札焚上式では古神札・お守や正月の縁起物・注連縄などが焚き上げられます。節分星祭では各人の本命星に値する御守・御札を授与し、厄災除けとします。(詳細下記参照)
【大将軍八神社節分星祭2026 日程時間(要確認)】
大将軍八神社節分星祭2026は2026年(令和8年)2月3日(火曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大将軍八神社ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2026
【大将軍八神社節分星祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩約5分)、北野白梅町(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大将軍八神社は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【大将軍八神社節分星祭 歴史・簡単概要】
大将軍八神社節分星祭(せつぶんほしまつり)は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では厄除け・招福を祈願します。
節分星祭では古神札焚上式(こしんさつたきあげしき)などが行われます。古神札焚上式では古神札・お守や正月の縁起物・注連縄(しめなわ)などが焚き上げられます。節分星祭では各人の本命星に値する御守・御札を授与し、厄災除けとします。大将軍八神社は祭神・大将軍神が方位を司る星神で、方位の厄災けを解除する神社とされ、毎年星回りを発表しています。なお節分星祭では甘酒の接待が行われます。(要確認)
- 節分は元々、季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 鬼は目に見えない邪気を表す陰(おん)に由来するとも、姿が見えずに怖いものを表す隠(おぬ)に由来するとも言われています。その為人智を超え、人に危害を与える災害・疾病・飢饉などは鬼の仕業と考えられました。
【大将軍八神社 歴史・簡単概要】
大将軍八神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、桓武天皇の勅願により、大将軍神を奈良・春日山山麓から平安京大内裏の北西角の地に勧請したのが起源です。当初、陰陽道のお堂として、大将軍堂と称されました。平安時代中期から鎌倉時代に80体の大将軍神像群(重要文化財)が造られました。1178年(治承2年)に第80代・高倉天皇の中宮・建礼門院徳子の安産祈願の為に奉幣使が参向したと言われています。平安時代以降に王城鎮護の神として、朝廷や武士に篤く祟敬され、その後民間にも拡大しました。南北朝時代から約100年間、八坂神社の管理下にあったと言われています。室町時代中期に応仁の乱で荒廃し、その後村の氏神として信仰されるようになりました。江戸時代以降に京都西方守護で信仰されたり、方除厄除十二社参りの流行で参詣を集めたりしました。
*参考・・・大将軍八神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【大将軍八神社節分星祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大将軍八神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報