大将軍八神社お火焚祭2019/11/23

大将軍八神社お火焚祭

大将軍八神社お火焚祭

大将軍八神社お火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。お火焚祭は毎年11月23日に行われます。お火焚祭は秋の収穫・五穀豊穣に感謝し、氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。火焚祭では大祓詞を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。(詳細下記参照)

【大将軍八神社お火焚祭2019 日程時間(要確認)】
大将軍八神社お火焚祭2019は2019年(令和元年)11月23日(土曜日)13:00から行われます。

【大将軍八神社お火焚祭 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩約5分)、北野白梅町(徒歩約5分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大将軍八神社は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

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【大将軍八神社お火焚祭 歴史・簡単概要】
大将軍八神社お火焚祭(おひたきさい)は秋の収穫・五穀豊穣に感謝し、氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。
火焚祭では先ず本殿で神事を行い、その後護摩壇近くでも神事を行います。そして紙など細かく切り刻んだ切麻(きりぬさ)や刀を使ってお祓いを行い、本殿から移された忌火(いみび)によって護摩壇に点火されます。なお火焚祭では神職や氏子などが一緒に大祓詞(おおはらえのことば)を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。氏子などには直前に大祓詞が書かれた紙が配られます。
新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
大祓詞は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門で奏上していたそうです。

【大将軍八神社 歴史・簡単概要】
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、王城鎮護の為に陰陽道(おんみょうどう)により、平安京の宮城である大内裏(だいだいり)の北西(戌亥)の天門に星神・大将軍堂を建立したのが起源と言われています。大将軍八神社は当初大将軍堂と称しました。ちなみに大将軍は陰陽道の方位神で、建築・転居などの方角の吉凶を司るそうです。室町時代の皇族・伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)の日記「看聞御記(かんもんにっき・看聞御記』(かんもんぎょき))・1416年(応永23年)~1448年(文安5年)」によると南北朝時代から約100年間、八坂神社(祇園社)の管理下にあったと言われています。江戸時代に大将軍村の鎮守社として祀られるようになりました。また江戸時代に北斗妙見(ほくとみょうけん)信仰から太白神(たいはくじん・太白精)信仰に移り、暦神と習合して大将軍八神宮とも称しました。明治時代の神仏分離令により、大将軍(素戔鳴尊(すさのおのみこと))・素戔嗚尊の8人(五男三女)の子供である八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀り、第50代・桓武天皇を合祀し、大将軍八神社に社名を改めました。
*参考・・・大将軍八神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ大将軍八神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【大将軍八神社お火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大将軍八神社お火焚祭2015では雨が降っても対応できるようにテントが用意されていました。
大将軍八神社(アクセス・見どころ・・・)情報
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