大将軍八神社お火焚祭2026年11月23日(祈願成就)

大将軍八神社お火焚祭(日程・アクセス・概要)
大将軍八神社お火焚祭(日程時間など)を紹介しています。お火焚祭は例年11月23日に行われます。お火焚祭は秋の収穫・五穀豊穣に感謝し、氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。火焚祭では大祓詞を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。(詳細下記参照)
【大将軍八神社お火焚祭2026 日程時間(要確認)】
大将軍八神社お火焚祭2026は2026年(令和8年)11月23日(月曜日)13:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大将軍八神社ホームページ
【大将軍八神社お火焚祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩約5分)、北野白梅町(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大将軍八神社は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【大将軍八神社お火焚祭 歴史・簡単概要】
大将軍八神社お火焚祭(おひたきさい)は秋の収穫・五穀豊穣に感謝し、氏子などの願いが込められた護摩木(火焚串)を護摩壇で焚き上げ、祈願成就を願います。
火焚祭では先ず本殿で神事を行い、その後護摩壇近くでも神事を行います。そして紙など細かく切り刻んだ切麻(きりぬさ)や刀を使ってお祓いを行い、本殿から移された忌火(いみび)によって護摩壇に点火されます。なお火焚祭では神職や氏子などが一緒に大祓詞(おおはらえのことば)を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。氏子などには直前に大祓詞が書かれた紙が配られます。
新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
大祓詞は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門で奏上していたそうです。
【大将軍八神社 歴史・簡単概要】
大将軍八神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、桓武天皇の勅願により、大将軍神を奈良・春日山山麓から平安京大内裏の北西角の地に勧請したのが起源です。当初、陰陽道のお堂として、大将軍堂と称されました。平安時代中期から鎌倉時代に80体の大将軍神像群(重要文化財)が造られました。1178年(治承2年)に第80代・高倉天皇の中宮・建礼門院徳子の安産祈願の為に奉幣使が参向したと言われています。平安時代以降に王城鎮護の神として、朝廷や武士に篤く祟敬され、その後民間にも拡大しました。南北朝時代から約100年間、八坂神社の管理下にあったと言われています。室町時代中期に応仁の乱で荒廃し、その後村の氏神として信仰されるようになりました。江戸時代以降に京都西方守護で信仰されたり、方除厄除十二社参りの流行で参詣を集めたりしました。
*参考・・・大将軍八神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【大将軍八神社お火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大将軍八神社お火焚祭2015では雨が降っても対応できるようにテントが用意されていました。
大将軍八神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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