大雲院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
大雲院
大雲院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。大雲院は織田信長の子・信忠の菩提を弔う為に創建されたこともあり、境内には織田信長・信忠父子の墓があります。また石川五右衛門が処刑前に市中を引き回され、貞安が大雲院門前で引導を渡した為、石川五右衛門の墓もあります。
【大雲院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区祇園町南側594-1
最寄り駅・バス停・・・祇園(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大雲院は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町・四条烏丸・四条堀川・四条大宮からは46系統、201系統、203系統、207系統
*河原町丸太町・烏丸丸太町・堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は祇園四条駅(徒歩約15分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約18分)
【大雲院 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開
【大雲院 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開
【大雲院 歴史・簡単概要】
大雲院(だいうんいん)・銅閣寺は桃山時代の1587年(天正15年)に浄土宗(じょうどしゅう)の僧・貞安(じょうあん)が第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命により、1582年(天正10年)の本能寺の変(ほんのうじのへん)で自刃した織田信長(おだのぶなが)と嫡男・織田信忠(おだのぶただ)の菩提を弔う為に織田信忠が自害した御池御所(二条新御所)を賜って創建しました。大雲院の寺号は織田信忠の戒名に由来し、火除天満宮社(ひよけてんまんぐしゃ)を鎮守社としました。1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、寺町四条下ル(下京区貞安前之町)に移りました。その後第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の勅願所になりました。江戸時代後期の1788年(天明8年)に天明の大火、1864年(元治元年)にどんどん焼けで焼失し、明治時代(1868年~1912年)初期に再建されました。明治維新後の神仏分離令で火除天満宮が分離・独立しました。太平洋戦争後に四条河原町一帯が京都を代表する繁華街に発展し、高島屋京都店も増床することになり、1972年(昭和47年)に大倉財閥の創始者・大倉喜八郎旧邸の一部を買い取って移りました。その際本堂は智積院(ちしゃくいん)に移築されて明王殿(不動堂)になりました。2014年(平成26年)に下京区貞安前之町の発掘調査により、関白・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の供養塔の一部と言われる石材が見つかりました。なお高さ約36メートル・3階建ての祇園閣は建築家で、東京帝国大学教授・伊東忠太(いとうちゅうた)の設計によって建設されました。
*参考・・・大雲院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【大雲院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
大雲院の見どころは祇園閣です。祇園閣は祇園祭の鉾を模し、屋根が銅板葺きの為、銅閣と言われています。
重要文化財・・・絹本著色前田玄以像、紙本墨書正親町天皇宸翰消息
【大雲院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-531-5018
【大雲院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
*京都バスの場合、京都駅からは17系統(C3乗り場)、最寄りのバス停は四条河原町(徒歩約15分)
京都バス・アクセスダイヤ
【大雲院 おすすめ散策ルート】
大雲院からのおすすめ散策ルートは高台寺・八坂の塔(法観寺)を経由し、清水寺・地主神社に向かうルートです。40分ほど散策すれば世界遺産である清水寺・地主神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお大雲院周辺には八坂神社・祇園・先斗町などもあり、それらを散策してもいいかもしれません。特に花見小路はおすすめです。