円覚寺六斎念仏2024年8月16日(日程時間・・・)
円覚寺六斎念仏
円覚寺六斎念仏(日程・時間・・・)を紹介しています。六斎念仏は例年8月16日に行われます。六斎念仏・念仏六斎は施餓鬼法要で円覚寺六斎保存会によって奉納されます。ちなみに施餓鬼法要は施餓鬼会とも言われ、六道のひとつである餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することです。(詳細下記参照)
【円覚寺六斎念仏2024 日程時間(要確認)】
円覚寺六斎念仏2024は2024年(令和6年)8月16日(金曜日)11:00頃から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・京都六斎念仏保存団体連合会ホームページ
【円覚寺六斎念仏 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町58
最寄り駅・バス停・・・水尾(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(備考参考)
*JR嵯峨野線・保津峡駅から水尾自治会バス
【円覚寺六斎念仏 歴史・簡単概要】
円覚寺六斎念仏(ろくさいねんぶつ)・念仏六斎は施餓鬼法要(せがきほうよう)で円覚寺六斎保存会によって奉納されます。ちなみに施餓鬼法要は施餓鬼会(せがきえ)とも言われ、六道(ろくどう)のひとつである餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することです。なお施餓鬼法要は先祖の霊を冥福を祈って供養したり、亡き人を偲んだりする盂蘭盆会(うらぼんえ)が行われるお盆(盂蘭盆)に行われることが多いそうです。
円覚寺六斎保存会の六斎念仏は念仏の詠唱を行う空也堂系念仏六斎と言われています。念仏六斎では鉦を用いることから水尾の鉦講(しょうこう)とも言われています。六斎念仏は他の六斎念仏と異なり、足をほとんど動かさない、太鼓を時々ひねらせるだけで、極めて静的な念仏六斎と言われています。なお円覚寺六斎保存会の演目には発願・揃鉢・抜鉢・それ鉢・白米などがあります。
施餓鬼供養(施餓鬼会・施餓鬼)は六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・地獄道)のひとつである餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することです。施餓鬼は旧暦7月15日に行われることが多いそうです。
六斎念仏は鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。六斎念仏は平安時代(794年~1185年)中期に踊り念仏で知られ、市聖と言われた空也上人が始めたとも、鎌倉時代(1185年~1333年)に西方寺を中興した道空上人が始めたとも言われています。六斎念仏は1ヶ月に6日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)ある忌み日・六斎日に行われたことから名付けられました。六斎念仏は芸能色がほとんどなく、宗教色が強い干菜寺系念仏六斎と笛などの楽器を使用し、娯楽要素の強い空也堂系芸能六斎があります。ただ空也堂系には宗教色が強い念仏六斎もあります。なお京都の六斎念仏は1983年(昭和58)に重要無形民俗文化財に指定され、2022年(令和4年)に日本各地に伝わる「風流踊」として、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
【円覚寺 歴史・簡単概要】
円覚寺は京都七大寺に数えられた天台宗の名刹・水尾山寺があった場所です。880年(元慶4年)に清和源氏の始祖である第56代・清和天皇が第57代・陽成天皇に譲位し、水尾山寺を終生の地と定めて入寺し、仏堂の建立を始めたが、翌881年(元慶5年)に清和天皇は病になり、鴨川東・洛東粟田(左京区北白川下池田町付近)にあった太政大臣・藤原基経の粟田山荘(円覚寺)に移り、その後崩御しました。室町時代中期の1420年(応永27年)に円覚寺(粟田山荘)は焼失し、水尾山寺に移りました。円覚寺の寺号が残り、水尾山寺の寺号は消えました。1679年(延宝7年)に大火によって焼失し、1776年(安永5年)に再建されました。なお円覚寺は本堂に清和天皇の持念仏とも言われている薬師如来像と清和天皇坐像を安置しています。
円覚寺は浄土宗の寺院です。
【円覚寺六斎念仏 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
円覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報