宮津市民総踊り大会2019/8/15

宮津市民総踊り大会は京都の夏の風物詩です。宮津市民総踊り大会は毎年8月15日に行われています。宮津市民総踊り大会では古くから宮津に伝わる宮津おどりなどを熱く踊ります。一般の方が参加できる自由連もあり、飛び入りで参加できるそうです。(要確認)宮津おどりは宮津節・宮津盆おどり松坂・あいやえおどりが組み合わさった郷土芸能です。(詳細下記参照)

【宮津市民総踊り大会2019 日程時間(要確認)】
宮津市民総踊り大会2019は2019年(令和元年)8月15日(木曜日)に行われます。

【宮津市民総踊り大会 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府宮津市本町・駅前通り
最寄り駅・バス停・・・宮津駅(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都丹後鉄道宮津線・宮福線

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【宮津市民総踊り大会 歴史・簡単概要】
宮津市民総踊り大会(みやづしみんそうおどりたいかい)は毎年8月15日に行われています。宮津市民総踊り大会では古くから宮津に伝わる宮津おどりなどを熱く踊ります。一般の方が参加できる自由連もあり、当日飛び入りでも参加できるそうです。(要確認)
宮津おどりは古くから宮津に伝わる民謡「宮津節」・「宮津盆おどり松坂」、そして「あいやえおどり」が組み合わさって現在に伝わる優雅な郷土芸能です。ちなみに「宮津節」は江戸時代中期以降に宮津城の城下町の芸妓(げいぎ)が諸国の商人や船乗りに披露した座敷唄(ざしきうた)が起源とも言われています。「宮津盆おどり松坂」は江戸時代に三重県伊勢で唄われ、全国に広まった伊勢踊り(伊勢音頭)に由来するとも言われています。「あいやえおどり」は九州(長崎県平戸)の「ハイヤ節」が伝わったものと言われています。「宮津節」は「二度と行こまい丹後の宮津」で始まり、江戸時代末期に日本中の花柳界で流行し、「丹後の宮津でピンと出した」という歌詞で知られるようになりました。なお宮津おどりは宮津市の無形民俗文化財に指定されています。

【宮津市 歴史・簡単概要】
宮津市(みやづし)は京都府北部に位置しています。宮津市は北側を京丹後市・伊根町、南側を舞鶴市・福知山市、西側を与謝野町に接し、東側を若狭湾の支湾である宮津湾と栗田湾に面しています。宮津市は与謝野町を挟んで南北が飛び地になっており、南北を天橋立(あまのはしだて)によって結ばれているが、天橋立は自動車が通行することはできません。ちなみに天橋立は宮津湾と内海である阿蘇海(あそかい)を南北に隔て、砂嘴(さし)が全長約3.6キロメートル・幅約20~170メートルです。天橋立は国の特別名勝で、宮城の松島・広島の宮島(厳島)とともに日本三景と言わるがあります。宮津市は大部分が京都府・福井県南西部・兵庫県東部・大阪府北部・滋賀県西部に広がる丹波高地にあり、平地が少ない都市です。宮津市は天正年間(1573年~1592年)に細川ガラシャの夫で、丹後宮津城主・細川忠興(ほそかわただおき)が宮津城を築城して城下町を整備し、江戸時代には丹後宮津藩初代藩主・京極高知(きょうごくたかとも)と第2代藩主・京極高広(きょうごくたかひろ)が宮津城を大規模に改修し、城下町も整備して西廻航路の港町として栄えました。宮津市は風待ち港として丹後随一の港町になり、京都府の民謡・宮津節に「縞(しま)の財布が空になる」とも謳われました。また丹後縮緬(たんごちりめん)機業地を控えた商港としても栄えました。なお宮津市は1954年(昭和29年)に市制に移行しました。
*参考・・・宮津市宮津市wikipedia

【宮津市民総踊り大会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。

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