花尻の森椿見ごろ2021(3月下旬~4月上旬頃)

花尻の森椿見ごろ

花尻の森椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。花尻の森には小野源太夫社が建立され、石灯籠・鳥居・石段・御神木などがあり、その鬱蒼とした森の中にやぶ椿が分布しています。やぶ椿は苔むした地面や御神木などの近くに花を落とし、落ち椿(散り椿)の光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)

【花尻の森椿見ごろ(要確認)】
花尻の森の椿見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【花尻の森椿見ごろ アクセス・マップ地図】
場所・・・京都市左京区大原戸寺町
最寄り駅・バス停・・・花尻橋(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大原は17系統(C3乗り場)、18系統(C3乗り場)
*四条河原町・三条京阪からは17系統
*四条烏丸からは17系統
京都バス・アクセスダイヤ

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【花尻の森椿見ごろ 歴史・簡単概要】
花尻の森は京都で知られている椿の名所です。花尻の森の見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
花尻の森には小野源太夫社(おのげんだゆうしゃ)が建立され、石灯籠(いしどうろう)・鳥居(とりい)・石段・御神木などがあり、その鬱蒼とした森の中にやぶ椿が分布しています。やぶ椿は苔むした地面や御神木などの近くに花を落とし、落ち椿(散り椿)の光景が美しいと言われています。特に落ち椿(散り椿)の赤と苔のコントラストが美しいと言われています。なお花尻の森の光景は「京都写真」の第一人者とも言われる写真家・水野克比古(みずのかつひこ)などの写真で紹介されています。
やぶ椿は青森県から沖縄県までの太平洋側の海岸など暖地の丘陵などに自生しています。やぶ椿はツバキ科ツバキ属の常緑樹・照葉樹林の代表的です。一般的に椿と言うとやぶ椿を指しています。やぶ椿は江戸時代以降に数多くの園芸品種のもとになりました。なおヤブツバキは代表的な茶花で、日本最古の観賞用花木とも言われています。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。

【花尻の森 歴史・簡単概要】
花尻の森(はなじりのもり)はかつて鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が寂光院(じゃっこういん)に隠棲した平清盛(たいらのきよもり)の娘で、第80代・高倉天皇(たかくらてんのう)の中宮、そして第81代・安徳天皇(あんとくてんのう)の生母である建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)を監視させた松田源太夫(まつだげんだゆう)の屋敷址とも言われています。ちなみに寂光院は寺伝によると飛鳥時代初期の594年(推古天皇2年)に聖徳太子(しょうとくたいし)が父で、第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の菩提を弔う為に創建したとも言われています。寂光院では1185年(文治元年)に建礼門院徳子が入寺し、壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら終生を過ごしました。花尻の森には小野源太夫社(おのげんだゆうしゃ)が建立され、祭神・猿田彦神(さるたひこのかみ)が祀られています。花尻の森にはヤブツバキ・カヤ・ケヤキなどの植物が植えられています。なお花尻の森は5月4日の江文神社(えぶみじんじゃ)と5月5日の梅宮神社(うめのみじんじゃ)の春の祭礼の際に御旅所になります。
*参考・・・花尻の森(アクセス・歴史・見どころ・・・)

【花尻の森椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
花尻の森(アクセス・見どころ・・・)情報

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