一休寺歴史-修学旅行・観光ポイント

一休寺・酬恩庵

一休寺の時代別年表と重要人物

一休寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。一休寺は正応年間(1288年~1293年)に臨済宗の高僧である大応国師・南浦紹明が中国宋の禅僧・虚堂智愚に禅を学び、帰国後に禅の道場として妙勝寺を創建したのが起源と言われています。なお一休寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(蓮台野)】

★一休寺開山で、臨済宗(りんざいしゅう)の高僧である大応国師(だいおうこくし)・南浦紹明(なんぽしょうみょう)は1259年(正元元年)に宋(中国)に渡って、禅僧・虚堂智愚(きどうちぐ)に禅を学んで法を継ぎ、1267年(文永4年)に日本に帰国して、鎌倉の建長寺(けんちょうじ)に戻りました。なお虚堂智愚は育王山広利寺・南山浄慈報恩寺・径山興聖万寿寺など中国五山の大寺に住した高僧(禅僧)で、日本から入宋した多くの禅僧が参禅しました。そして大応国師・南浦紹明が虚堂智愚から受け継いだ法は大徳寺・妙心寺により、その法脈が現在も受け継がれています。

【一休寺創建(起源・由来)】

★一休寺は鎌倉時代の正応年間(1288年~1293年)に大応国師・南浦紹明が禅の道場として、霊瑞山妙勝寺(みょうしょうじ)を創建したのが起源と言われています。なお妙勝寺の旧跡は開山堂(大応堂)近くにあり、開山堂には一休寺中興・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が造立した大応国師・南浦紹明の木像が安置されています。

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【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★1331年(元弘元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が鎌倉幕府打倒を図って元弘の乱(げんこうのらん)を起こし、一休寺が兵火によって焼失し、その後荒廃したと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★永享年間(1429年~1441年)に室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)の帰依により、本堂(法堂)が建立されました。本堂(法堂)は山城(京都)・大和(奈良)地方の中で、唐様建築の最古の建物とも言われています。
★康正年間(1455年~1456年)に大応国師・南浦紹明の六代の法孫で、一休さんとも言われる一休宗純が宗祖(大応国師・南浦紹明)の遺風を慕って、仏殿などの伽藍を再建しました。一休宗純は師恩に報いる意味で、寺号を「酬恩庵」と命名しました。一休宗純は81歳で臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺(だいとくじ)の住職になったが、その時も一休寺から大徳寺に通い、1481年(文明13年)に88歳で亡くなりました。一休宗純の遺骨は一休寺に葬られました。なお酬恩庵は一休宗純が晩年を過ごされたことから一休寺と言われるようになりました。
★1475年(文明7年)に内部に一休宗純の墓があり、現在は法華堂と言われる寿塔が建立されました。寿塔は一休宗純が敬慕する宋(中国)の慈明禅師と楊岐禅師の名前から「慈揚塔」と名付けられました。
★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、一休宗純が京都・東山の麓に建てられていた虎丘庵(こきゅうあん)を一休寺に移築しました。
★室町時代中期に一休宗純に学んだ村田珠光(むらたじゅこう)が禅院枯山水庭園・虎丘庭園を作庭したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★江戸時代初期に虎丘庵が修復されました。
★1614年(慶長19年)の大坂冬の陣の際、加賀藩第2代藩主・前田利常(まえだとしつね)が一休寺で休息しました。
★1623年(元和9年)に梵鐘が鋳造されました。
★1650年(慶安3年)に加賀藩第2代藩主・前田利常が方丈・庫裏・東司・浴室・鐘楼・唐門などの伽藍を再建し、絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が障壁画43面を描きました。2017年(平成29年)に一休寺で発見された文書によると一休寺再興には前田利常の家臣で、六角義治の養子・佐々木定治が関わっていたことが分かりました。一休寺には六角義治の父・六角義賢の墓があります。
★江戸時代前期に方丈庭園(北庭・南庭・東庭)が松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)・佐川田喜六・石川丈山(いしかわじょうざん)の合作で作庭されと言われています。北庭は枯滝落水の様子を現した蓬莱庭園、南庭は白砂の大海を現した庭園、東庭は十六羅漢の様子を現した庭園です。
★1787年(天明7年)に一休寺に心伝庵・梅渓庵・江庵・待月庵・松屋庵・虎丘庵・黙々寺の8つの塔頭(たっちゅう)があったと言われています。
★1815年(文化2年)に観世織部清興が能楽観世流3代・観世三郎元重(音阿弥)の墓を建立しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★大正時代(1912年~1926年)に開山堂が改築されました。
★1999年(平成11年)に一休酬恩会が二十世紀の森を造園しました。

【大応国師・南浦紹明:一休寺開山】

大応国師・南浦紹明は1235年(嘉禎元年)に駿河国安倍郡安西井宮村で生れたと言われています。幼少から駿河・建穂寺で学び、1249年(建長元年)に鎌倉・建長寺の蘭渓道隆に参禅しました。1259年(正元元年)に宋(中国)に渡って、虚堂智愚に学んで法を継ぎました。1267年(文永4年)に帰国して鎌倉・建長寺に戻り、その後1270年(文永7年)に筑前・興徳寺の住持(住職)、1272年(文永9年)に太宰府・崇福寺の住持を歴任し、崇福寺の時代には元寇の際の司令官・少弐氏の外交顧問・家庭導師を務めました。1304年(嘉元2年)に後宇多上皇(第91代・後宇多天皇)に招かれて京都・万寿寺に入り、1307年(徳治2年)に鎌倉・建長寺に戻りました。大応国師・南浦紹明は1309年(延慶元年)に亡くなりました。1309年(延慶2年)に後宇多上皇から禅僧に対する最初の国師号「円通大応」が贈られました。

【一休寺歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・酬恩庵・一休寺(アクセス・歴史・・・)

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