新熊野神社左義長神事2025/1/15(日程時間・・・)
新熊野神社左義長神事
新熊野神社左義長神事(日程・時間・・・)を紹介しています。左義長神事は例年1月15日に行われています。左義長神事では正月に飾った注連縄飾り・門松などの正月飾りを竹などで櫓を組んで焚き上げます。櫓は5メートル近くにもなるそうです。なお櫓はその年の縁起が良いとされる恵方(えほう)に倒されます。獅子舞も奉納されます。(要確認)(詳細下記参照)
【新熊野神社左義長神事2025 日程時間(要確認)】
新熊野神社左義長神事2025は2025年(令和7年)1月15日(水曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・新熊野神社ホームページ
【新熊野神社左義長神事 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
最寄り駅・バス停・・・今熊野(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*京都駅から新熊野神社は208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR奈良線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約15分)、東福寺駅(徒歩約15分)
【新熊野神社左義長神事 歴史・簡単概要】
新熊野神社左義長神事(さぎちょうしんじ)は小正月に行われる火祭りの神事(とんど祭)です。左義長神事では正月に飾った注連縄飾り・門松などの正月飾りを竹などで櫓を組んで焚き上げます。櫓は5メートル近くにもなるそうです。なお櫓はその年の縁起が良いとされる恵方(えほう)に倒されます。
左義長神事では先ず神職による祝詞奏上などの神事が行われます。その後僧侶や信者などが般若心経を唱える仏事が行われ、神仏習合の行事となります。
左義長神事は平安時代に行われていた宮中行事(神事)が起源です。宮中では1月15日の小正月に清涼殿(せいりょうでん)の庭に青竹を束ねて立て、毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡い囃子ながら焚き上げて、吉凶などを占ったと言われています。左義長神事は毬杖を三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)とも言われたそうです。清涼殿は平安時代には天皇の居住に使われました。しかし天正年間に御常御殿(おつねごてん)が造営されてからは天皇の居住の場が移り、清涼殿は天皇の執務や儀式を行う場所になりました。なお左義長神事は地方により、とんど(歳徳)・とんど焼き・どんど・どんど焼き・さいと焼き・爆竹祭などとも言われるそうです。
注連縄(標縄・七五三縄)は神域(常世・とこよ)と現世(うつしよ)を隔てる結界の役目や厄・禍を祓う役割があると言われています。なお注連縄は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸から出た際、太玉命(ふとだまのみこと)が二度と天岩戸に入れないよう注連縄で塞いだのが起源とも言われているそうです。
門松は正月に歳神(年神)を迎える依代(よりしろ) として門口に立てる松飾りです。門松は古来神が木の梢に宿ると考えられていたことに由来するそうです。
【新熊野神社 歴史・簡単概要】
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)・権現さんは平安時代後期の1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)が離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を造営した際、平清盛(たいらのきよもり)・平重盛(たいらのしげもり)父子に命じ、鎮守社として熊野の神を勧請したのが起源と言われています。後白河上皇は34回も熊野に参詣したそうです。その後室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などの兵火によって荒廃したが、江戸時代初期に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))が再建し、1663年(寛文13年)に後水尾上皇の皇子・聖護院宮道寛親王が現在の本殿を修復しました。なお新熊野神社は主祭神・伊弉諾尊(いざなきのみこと)を祀り、熊野神社(くまのじんじゃ)・熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)とともに京都三熊野と言われています。
*参考・・・新熊野神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【新熊野神社左義長神事 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
新熊野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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