法界寺裸踊り2025年1月14日(日程時間・・・)
法界寺裸踊り
法界寺裸踊り(日程・時間・・・)を紹介しています。裸踊りは例年1月14日に行われています。裸踊りでは肉を断ち、身を清める精進潔斎(しょうじんけっさい)を行った少年・青年などが下帯だけになり、水垢離(みずごり)を行った後、阿弥陀堂正面の縁側で両手を頭上高く拍ち合わせ、「頂礼(ちょうらい)」と大声で連呼しながら踊ります。(詳細下記参照)
【法界寺裸踊り2025 日程時間(要確認)】
法界寺裸踊り2025は2025年(令和7年)1月14日(火曜日)19:00頃~21:00に行われます。過去のタイムテーブルは19:00頃から法要、19:30頃から子供の裸踊り、20:00頃から大人の裸踊りが行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法界寺ホームページ
【法界寺裸踊り アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区日野西大道町19
最寄り駅・バス停・・・日野薬師(徒歩すぐ)
京阪アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪宇治線六地蔵駅・JR奈良線六地蔵駅からは8系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は石田駅(徒歩約20分)
【法界寺裸踊り 歴史・簡単概要】
法界寺裸踊り(はだかおどり)は江戸時代初期から行われていると言われています。なお裸踊りは京都市の登録無形民俗文化財に指定されています。
裸踊りは天下泰平・五穀豊穣・無病息災・諸願成就などを祈願する修正会法会(しゅしょうえほうえ)が元日から14日間行われ、その結願日である1月14日の夜に行われます。裸踊りでは肉を断ち、身を清める精進潔斎(しょうじんけっさい)を行った少年・青年などが下帯だけになり、井戸水で水垢離(みずごり)を行った後、阿弥陀堂(国宝)正面の縁側(裳階・もこし)で両手を頭上高く拍ち合わせ、「頂礼(ちょうらい)」と大声で連呼しながら体をもみ合ったり、すり合ったりしながら踊ります。ちなみに頂礼は仏様に対する最高の敬意を表す礼法です。裸踊り終了後には僧侶による加持も行われます。なお下帯の晒を妊婦の腹帯にすると安産のご利益があるとも言われています。
阿弥陀堂はかつて平安後期の阿弥陀信仰の高まり、末法思想の広がりから建立されたと言われています。阿弥陀堂は1221年(承久3年)の承久の乱によって焼失し、嘉禄年間から嘉禎年間に再建されたと言われています。なお阿弥陀堂の壁画は1949年(昭和24年)の法隆寺・金堂壁画の焼失後、完全な壁画としては日本最古と言われています。
修正会は寺院で例年1月に数日間行われる悔過(けか)の法会で、修正月会とも言われます。修正会では昨年を反省し、新年の国家安泰・皇室の安泰・五穀豊穣などを祈願します。ちなみに修正会は中国の年始の儀式が起源とも言われています。なお日本では759年(天平宝字3年)以前から官立の大寺院などで悔過会(けかえ)が行われ、その後767年(神護景雲元年)からは国分寺で吉祥天悔過会(きっしょうてんけか)が行われるようになり、新春の法会として広まったとも言われています。
法界寺見どころ
【法界寺 歴史・簡単概要】
法界寺(ほうかいじ)・日野薬師は1051年(永承6年)文章博士・日野資業(ひのすけなり)が薬師如来像を造り、安置する薬師堂を建立したのが起源です。法界寺は日野家の氏寺になり、薬師如来像の胎内には日野家に代々伝わる天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄自作の三寸の薬師像を納めたとも言われています。その後平安後期に阿弥陀信仰が高まり、末法思想の広がりから阿弥陀堂が建立しました。なお浄土真宗の開祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)は1173年(承安3年)に法界寺で生まれたと言われ、江戸時代には法界寺の近くに日野誕生院が創建されました。
法界寺は真言宗醍醐派別格本山の寺院です。
*参考・・・京都・法界寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【法界寺裸踊り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
裸踊りでは粕汁が振舞われます。(要確認)
法界寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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