上善寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

上善寺

上善寺の歴史を時代別年表にまとめ

上善寺の歴史を簡単にまとめています。上善寺は寺伝によると863年(貞観5年)に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が天台密教の道場として上京区・千本今出川に創建したと言われています。創建以来、度々火災で焼失したと言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

上善寺(アクセス・歴史・・・)

【深泥池(みどろがいけ)】

●深泥池(深泥ケ池)は京都盆地北端部に位置しています。深泥池は14万年前の氷河期から存在しているとも言われ、約1万年前までに東側から西側に流下する開析谷(かいせきこく)の出口が賀茂川(かもがわ)の扇状地堆積物によって塞き止められ、現在の姿の起源になったと言われています。深泥池は周囲約1.5キロ・面積約9.2ヘクタールで、池の中央に珍しい浮島があります。浮島は冬に沈んで冠水するが、夏に浮かび上り、池全体の3分の1を占めます。なお深泥池地蔵(姉子地蔵(あねごじぞう))はかつて小幡の里に祀られていたが、保元年間(1156年~1159年)に深泥池の畔に祀られるようになったと言われています。

【上善寺の起源・始まり】

●上善寺は寺伝によると863年(貞観5年)に第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が天台密教(てんだいみっきょう)の道場として上京区・千本今出川に創建したと言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●平安時代の創建以来、度々火災で焼失したと言われています。
●保元年間(1156年~1159年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の勅命により、平清盛(たいらのきよもり)が西光法師(さいこうほうし)に命じ、都に通じる主要街道の入口に鞍馬口地蔵(くらまぐちじぞう)を含む5体の地蔵尊を祀ったと言われています。なお6体の地蔵尊は平安時代前期に昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰(えんまのちょう)に仕えた公卿(くぎょう)・小野篁(おののたかむら)が一度亡くなって冥土(めいど)に行き、生身の地蔵尊(じぞうそん)を拝して蘇り、1本の桜から自ら刻んで大善寺(だいぜんじ)に祀られていたが、大善寺の伏見地蔵(ふしみじぞう)を除く、5体の地蔵尊が大善寺から移されることになりました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●1467年(応仁元年)に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、兵火で荒廃しました。
●文明年間(1469年~1487年)に天台宗(てんだいしゅう)の僧・春谷盛信(しゅんこくせいしん)が再興しました。第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)、第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)が授戒して大いに興隆したと言われています。後柏原天皇は行幸し、その後万里小路秀房により、「勅願所不断念仏之道場」の宣旨と勅額「千松山(せんしょうざん)」を賜り、勅願寺(ちょくがんじ)になって塔頭(たっちゅう)10院を有しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

●1594年(文禄3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、千本今出川から現在の場所に移されました。また天台宗(てんだいしゅう)から浄土宗(じょうどしゅう)に改められました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1634年(寛永11年)に後水尾上皇(第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう))の勅により、嵯峨今林・蓮華清浄寺から僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)作とも言われる本尊・阿弥陀仏(あみだぶつ)坐像が移されてきました。
●1712年(正徳2年)に松平越前守(まつだいらえちぜんのかみ)が黒印百石を寄進し、藩祖・結城秀康(ゆうきひでやす)などの歴代藩主の位牌を奉安し、菩提所(ぼだいしょ)に定められました。
●1864年(元治元年)に禁門の変(きんもんのへん)が起こり、長州藩士だった入江九一・原道太・半田門吉・奈須俊平・田村育蔵・緒方弥左衛門・小橋友之輔らが亡くなり、堺町御門警衛隊長だった越前藩士・桑山十蔵(くわやまじゅうぞう)が主君・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の許可を得て、越前藩菩提寺だった上善寺に弔いました。墓地内に長州人首塚碑が建立されています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、鞍馬街道(くらまかいどう)近くの深泥池の畔から深泥池地蔵(姉子地蔵)が移され、鞍馬口地蔵と言われるようになりました。
●1905年(明治38年)に旧長州藩主・毛利家が塚周辺を整備しました。
●1918年(大正7年)に地蔵堂が再建され、2016年(平成28年)に地蔵堂が新たに再建されました。

【上善寺の開山である慈覚大師・円仁】

慈覚大師・円仁は794年(延暦13年)に下野国(栃木)に生まれました。808年(大同3年)に唐(中国)から帰国した天台宗の宗祖である伝教大師・最澄に師事し、その後伝教大師・最澄最期の14年間に仕えました。814年(弘仁5年)に言試(国家試験)に合格し、翌815年(弘仁6年)に得度しました。816年(弘仁7年)に奈良・東大寺で具足戒を受け、822年(弘仁13年)に伝教大師・最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後伝教大師・最澄は亡くなりました。829年(天長6年)から横川に隠棲して苦修練行を続け、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐(中国)に渡りました。慈覚大師・円仁は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。840年(承和7年)に中国・五台山を巡礼して最高峰の標高3,058メートルの北台叶斗峰に登り、その後大興善寺の元政から灌頂を受け、青竜寺の義真からも灌頂を受けました。847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅などを持って帰国し、848年(嘉祥元年)に比叡山に戻り、854年(斉衡元年)に第3代天台座主に就きました。なお慈覚大師・円仁は864年(貞観6年)に亡くなりました。

【上善寺の歴史 備考】
*参考・・・上善寺(アクセス・歴史・・・)wiki

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