源光庵の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

源光庵

源光庵の歴史を時代別年表にまとめ

源光庵の歴史を簡単にまとめています。源光庵は1346年(興国7年・貞和2年)に大徳寺2世・徹翁義亨の隠居所として創建され、復古堂と言われたのが起源です。徹翁義亨は大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺に隠居していました。(時代別年表・重要人物下記参照)

源光庵(アクセス・歴史・・・)

【大徳寺(だいとくじ)】

●大徳寺は平安時代(794年~1185年)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮・紫野院(しのいん)が造営されていた場所と言われています。その後紫野寺(しのでら)・慈雲院(うりんいん)などが建立されたとも言われています。大徳寺は1315年(正和4年)または1319年(元応元年)に大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が甥・赤松円心(あかまつえんしん)の帰依を受け、小堂・大徳庵を建立したの起源とも、小庵・大徳庵を贈られたのが起源とも言われています。

【源光庵の起源・始まり】

●源光庵は1346年(興国7年・貞和2年)に大徳寺2世・徹翁義亨(てっとうぎこう)の隠居所として創建され、復古堂と言われたのが起源です。徹翁義亨は1337年(延元2年・建武4年)に大徳寺開山である大燈国師・宗峰妙超を継いで大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺(とくぜんじ)を建立して隠居していました。

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

●南北朝時代以降に衰退したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)の前哨戦である伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい)で、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の家臣・鳥居元忠(とりいもとただ)ら数百名が石田三成(いしだみつなり)に破れて自刃しました。伏見城の床板が源光庵に移され、本堂の天井が血天井になったと言われています。
●1681年(天和元年)に自ら復古道人と号した加賀国(石川)・大乗寺(だいじょうじ)27世・卍山道白(まんざんどうはく)が宇治田原の山中で霊芝観世音(れいしかんぜおん)を感得し、その後第111代・後西天皇(ごさいてんのう)が篤く崇敬し、宮中で供養されたことから「開運霊芝観世音」とも称されました。霊芝観世音は本堂に安置されています。
●1694年(元禄7年)に卍山道白が源光庵を再興し、臨済宗(りんざいしゅう)から曹洞宗(そうとうしゅう)に改めました。
●1694年(元禄7年)に卍山道白に帰依した加賀国(石川)の富商・中田静家居士の寄進により、本堂が建立されました。
●1703年(元禄6年)に江戸幕府が曹洞宗の定規を定めた再可復古令を発布しました。卍山道白は曹洞宗中興の祖とも称されています。
●1719年(享保4年)に開山堂が建立されました。開山堂は復古堂とも称し、堂内に卍山道白の像を安置し、その像の下に舎利(しゃり)を収められています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、江戸時代末期まで末寺が13ケ寺あったが、9ケ寺が廃寺になりました。また心性寺(左京区北白川)が廃絶し、本尊・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)坐像が移されてきました。

【源光庵の開山である徹翁義亨】

徹翁義亨は1295年(永仁3年)に出雲国守護の佐々木氏の一族として出雲(島根東部)に生まれたとも言われています。19歳で出家して上洛し、建仁寺の鏡堂覚円・南禅寺の約翁徳倹に参じ、その後雲居庵に隠棲していた宗峰妙超に参じました。宗峰妙超が大徳寺を創建すると従い、1337年(延元2年・建武4年)に宗峰妙超を継いで大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺を建立して隠居しました。1367年(正平22年・貞治6年)に室町幕府2代将軍・足利義詮が朝廷に奏し、大徳寺・徳禅寺が徹翁義亨の弟子を住職とする度弟院にしました。その後天龍寺に招かれたが、固辞しました。徹翁義亨は大徳寺七ヵ条制法や徳禅寺法度を定めました。徹翁義亨は北朝第5代・後円融天皇や足利義詮など公武から篤い帰依を受けました。徹翁義亨には「徹翁和尚語録」2巻が残されています。徹翁義亨は1369年(正平24年・応安2年)に亡くなりました。第105代・後奈良天皇から大祖正眼禅師、第108代・後水尾天皇から天応大現国師を賜りました。

【源光庵の歴史 備考】
*参考・・・源光庵(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る