清水寺仏名会(例年12月1日~3日)
清水寺仏名会
清水寺仏名会(日程・時間・・・)を紹介しています。仏名会は例年12月1日から3日まで行われています。仏名会では本尊・千手観音立像が安置されている本堂の内々陣で仏名を唱えて、年内の罪障を懺悔し、消滅を祈願します。なお仏名会は11,093の仏陀・菩薩の名前が列挙されている仏名経に基づいて行われます。
【清水寺仏名会 日程時間(要確認)】
清水寺仏名会は例年12月1日~3日まで行われます。
【清水寺仏名会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区清水1-294
最寄り駅・バス停・・・清水道(徒歩約10分)、五条坂(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から清水寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*京都駅八条口(南口)アバンティ前からは202系統
*祇園からは100系統、202系統、206系統、207系統
*四条大宮・四条烏丸・四条河原町・四条京阪からは207系統
*千本丸太町・堀川丸太町・河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は清水五条駅(徒歩約22分)・祇園四条駅(徒歩約25分)
*阪急京都本線の場合、最寄り駅は京都河原町駅(徒歩約30分)
清水寺アクセス(バス・地下鉄・私鉄・・・)
【清水寺仏名会 歴史・簡単概要】
清水寺仏名会(ぶつみょうえ)では本尊・千手観音立像(秘仏)が安置されている本堂の内々陣で仏名を唱えて、年内の罪障を懺悔し、消滅を祈願します。
仏名会では仏名経(三劫三千諸仏名経)に基づき、旧暦の12月15日から3日3晩に渡り、宮中・清涼殿(せいりょうでん)で過去・現在・未来の三千仏名を唱え、その年に犯した罪障を懺悔し、国家の安泰・皇室の安寧などを祈願しました。仏名会は764年(天平宝字8年)以前から行われ、838年(承和5年)からは奈良・元興寺(がんごうじ)の僧・静安の発願で宮中恒例の仏事になり、その後寺院でも行われるようになったと言われています。ちなみに仏名会は御仏名(おぶつみょう)・仏名・仏名懺悔とも言われています。なお仏名経(12巻) には11,093の仏・菩薩の名前が列挙されているそうです。ちなみに仏名経には明版・麗版・宋版・元版などがあり、日本では明版が主に使われているそうです。
本堂(国宝)は崖・錦雲渓(きんうんけい)の斜面にせり出すように建てられ、内々陣・内陣・外陣に分かれています。本堂は1633年(寛永10年)江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建されました。なお本堂(清水の舞台)は懸造(かけづくり)、または舞台造です。
●清水寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
清水寺歴史(延鎮上人・坂上田村麻呂・・・)
●清水寺の見どころ(清水の舞台・三重塔など)を紹介しています。
清水寺見どころ(清水の舞台・三重塔など)
●清水寺の七不思議(清水の舞台など)を紹介しています。
清水寺七不思議(見どころ)
●清水寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。紅葉見ごろにライトアップが行われています。
清水寺紅葉見ごろ
【清水寺 歴史・簡単概要】
清水寺(きよみずでら)は奈良時代後期の778年(宝亀9年)に奈良・興福寺(こうふくじ)の僧で、子島寺(こじまでら・子嶋寺)で修行していた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が「南の地を去れ」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。その後780年(宝亀11年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されて、自らの邸宅を仏殿に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音像と地蔵菩薩・毘沙門天を安置したとも言われています。平安時代前期の805年(延暦24年)に第50代・桓武天皇の御願寺になり、810年(弘仁元年)には鎮護国家の道場になり、第52代・嵯峨天皇から「北観音寺」の宸筆を賜りました。江戸時代前期の1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって本堂(清水の舞台)が再建されました。なお清水寺は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
清水寺は北法相宗の本山です。
*参考・・・清水寺(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【清水寺仏名会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
清水寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報