泉涌寺華道月輪未生流献華展2019/11/9・10

泉涌寺華道月輪未生流献華展(日程・時間・・・)を紹介しています。華道月輪未生流献華展は毎年11月に行われています。華道月輪未生流献華展では霊明殿(尊牌殿)と歴代尊儀御霊の鎮まる月輪陵(つきのわのみさぎ)で献菊式が行われます。華道月輪未生流献華展では古式に則った艶かな衣裳を身に纏い、厳かな雰囲気の中で行われます。(詳細下記参照)

【泉涌寺華道月輪未生流献華展2019 日程時間(要確認)】
泉涌寺華道月輪未生流献華展2019は2019年(令和元年)11月9日(土曜日)・10日(日曜日)に行われます。

【泉涌寺華道月輪未生流献華展 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
最寄り駅・バス停・・・泉涌寺道(徒歩約7分)

市バスのアクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から泉涌寺は208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町202系統
京都市バス・アクセスダイヤ京都バス・鉄道乗換案内システム「歩くまち京都」

*JR奈良線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)

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【泉涌寺華道月輪未生流献華展 歴史・簡単概要】
泉涌寺華道月輪未生流献華展(かどうつきのわみしょうりゅうけんかてん)は毎年11月に行われています。
華道月輪未生流献華展では霊明殿(尊牌殿)と歴代尊儀御霊の鎮まる月輪陵(つきのわのみさぎ)で献菊式が行われます。華道月輪未生流献華展では古式に則った艶かな衣裳を身に纏い、厳かな雰囲気の中で行われます。
華道月輪未生流は皇室の菩提所として御寺(みてら)とも言われている泉涌寺で創流され、泉涌寺の歴代長老が家元を継承しています。生け花(華道)は神仏に供する為に色花を飾ったのが始まりですが、華道月輪未生流は歴代皇族に献華したのが始まりと言われています。華道月輪未生流には古式に則った伝統花である「生花(せいか)」と自由な発想で創り上げる「自由花」があり、花を生けることだけでなく、草花の出生や儀礼作法などを学ぶことができるそうです。
霊明殿は1882年(明治15年)に焼失し、1884年(明治17年)に第122代・明治天皇が再建しました。霊明殿は内陣・中陣・外陣に分かれ、第111代・後西天皇による扁額「霊明」が掛かっています。霊明殿には第38代・天智天皇、第49代・光仁天皇から第124代・昭和天皇までの歴代天皇・皇后の尊牌(位牌)を安置しています。なお霊明殿は尾州檜材で全て造られています。
月輪陵では第87代・四条天皇を始め、第108代・後水尾天皇から第120代・仁孝天皇までの25陵・5灰塚・9墓が営まれています。

【泉涌寺 歴史・簡単概要】
泉涌寺(せんにゅうじ)は起源が明確ではありません。泉涌寺は平安時代前期の天長年間(824年~834年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海が草庵を結んで、法輪寺と名付けたのが起源とも言われています。また泉涌寺は856年(斉衡3年)に左大臣・藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)が神修上人(じんしゅうしょうにん)に山荘を与えて寺院に改め、仙遊寺と称したのが起源とも言われています。その後1218年(建保6年)に月輪大師(がちりんだいし)・俊じょう(しゅんじょう)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の家臣・宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)から寄進され、1226年(嘉禄2年)に宋法式を取り入れた大伽藍を造営し、泉涌寺に名称を改めました。泉涌寺の名称は寺地の一角から清水が涌き出したことに由来し、現在も枯れることなく湧き続けています。1224年(貞応3年)に第86代・後堀河天皇が皇室の祈願寺とし、崩御後に後堀河天皇の陵墓が築かれ、1242年(仁治3年)に第87代・四条天皇が崩御すると葬儀が営まれました。なお泉涌寺は江戸時代以降、第108代・後水尾天皇から第121代・孝明天皇までが山内に葬られ、陵墓に香を焚き、花を供える香華院となり、「御寺(みてら)」と尊称されるようになりました。
泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山です。
*参考・・・泉涌寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ泉涌寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【泉涌寺華道月輪未生流献華展 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
泉涌寺(アクセス・見どころ・・・)情報
泉涌寺見どころ

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