海住山寺椿見ごろ2024(3月上旬~4月上旬頃)

海住山寺椿見ごろ(見頃)

海住山寺椿見ごろ(イベント・・・)を紹介しています。海住山寺では五色椿が植えられ、五色椿と高さ約17.7メートルの五重塔・桜などの光景が美しいと言われています。海住山寺には京都府内最大とも言われるヤマモモも分布し、京都の自然200選に選ばれています。海住山寺では山内を散策するのがおすすめです。(詳細下記参照)

【海住山寺椿見ごろ(例年時期)】
海住山寺の椿見ごろは例年3月上旬頃から4月上旬頃です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都椿名所・見ごろ

【海住山寺椿見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20
最寄り駅・バス停・・・海住山寺口(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR加茂駅からはコミュニティバス大畑線・加茂通学線
路線・時刻表・運賃チェック

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【海住山寺椿見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
海住山寺は椿(ツバキ)の名所です。海住山寺の椿見ごろは例年3月上旬頃から4月上旬頃です。
海住山寺では五色椿が植えられ、五色椿と高さ約17.7メートルの五重塔・桜などの光景が美しいと言われています。五色椿は一般的に淡いピンクにピンクの縦絞りが基本色で、白色・紅色・ピンク色、白覆輪などに咲き分かれます。海住山寺には京都府内最大とも言われるヤマモモも分布し、京都の自然200選に選ばれています。海住山寺では山内を散策するのがおすすめです。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
五重塔は解脱上人・貞慶が舎利を安置する為に建立を開始し、貞慶の没後の1214年(建保2年)に完成しました。1962年(昭和38年)に解体修理され、もこし(裳階)が復元されました。五重塔は三間五重塔婆で、本瓦葺です。銅板葺の初重こもし(裳階)付です。五重塔は全体的に細身で、内陣が厨子風に造られ、8枚の扉に一体ずつ梵天・帝釈天などの天部や比丘像が華麗な彩色で描かれています。

【海住山寺 歴史・簡単概要】
海住山寺(かいじゅうせんじ)は寺伝によると奈良時代の735年(天平7年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が大仏造立平安祈願の為、奈良・東大寺(とうだいじ)の初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう・りょうべんそうじょう)に命じ、海住山中腹に一宇を建立させて十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)を安置し、藤尾山観音寺と称したのが起源とも言われています。聖武天皇は奈良・平城京(へいじょうきょう)の鬼門にあたる場所に寺院を創建すれば、大仏造立が無事成就するという夢告を受けたとも言われています。その後平安時代後期の1137年(保延3年)に全山が焼失し、鎌倉時代の1208年(承元2年)に法相宗(ほっそうしゅう)の僧である解脱上人(げだつしょうにん)・貞慶(じょうけい)が草庵を結んで中興し、名称を観音寺から補陀落山海住山寺に改めました。1213年(建暦3年)の貞慶の没後、弟子・覚真(藤原長房・ふじわらのながふさ)が後を継いで戒律を厳しくし、寺観の整備しました。1214年(建保2年)に五重塔(国宝)が建立されました。なお海住山寺は近世まで法相宗の大本山である奈良・興福寺(こうふくじ)に属していたが、明治時代以降に真言宗智山派になりました。
海住山寺は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・海住山寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【海住山寺椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
海住山寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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