恋塚浄禅寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

浄禅寺

恋塚浄禅寺

恋塚浄禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。恋塚浄禅寺は800年以上の歴史があると言われている六地蔵めぐりの第2番札所になっています。なお第1番札所・大善寺(伏見地蔵)、2番札所・浄禅寺(鳥羽地蔵)、3番札所・地蔵寺(桂地蔵)、4番札所・源光寺(常盤地蔵)、5番札所・上善寺(鞍馬口地蔵)、6番札所・徳林庵(山科地蔵)です。

【恋塚浄禅寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市南区上鳥羽岩ノ本町93
最寄り駅・バス停・・・地蔵前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条大宮から恋塚浄禅寺は18系統
路線・時刻表・運賃チェック

【恋塚浄禅寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00
年中無休

【恋塚浄禅寺 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【恋塚浄禅寺 歴史・簡単概要】
恋塚浄禅寺(こいづかじょうぜんじ)・鳥羽地蔵(とばじぞう)は寺伝によると平安時代(794年~1185年)後期の1144年(天養元年)または1182年(寿永元年)に真言宗(しんごんしゅう)の僧・文覚上人(もんがくしょうにん)が袈裟御前(けさごぜん)の菩提(ぼだい)を弔う為に創建したと言われています。文覚上人は遠藤盛遠(えんどうもりとお)という北面の武士だったが、渡辺左衛門尉源渡(わたなべさえもんのじょうみなもとわたる)の妻・袈裟御前に横恋慕し、夫を殺して袈裟御前を自分のものにしようとしました。袈裟御前は一計を案じ、自ら夫の身代わりとなって遠藤盛遠に殺されます。そのことを知った遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家しました。保元年間(1156年~1159年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の勅命により、平清盛(たいらのきよもり)が西光法師(さいこうほうし)に命じ、都に通じる主要街道の入口に鳥羽地蔵を含む5体の地蔵尊を祀ったと言われています。6体の地蔵尊は昼に宮中に赴き、夜に閻魔之廰(えんまのちょう)に仕えた公卿(くぎょう)・小野篁(おののたかむら)が一度亡くなって冥土(めいど)に行き、生身の地蔵尊(じぞうそん)を拝して蘇り、1本の桜から自ら刻んで大善寺(だいぜんじ)に祀られていたが、大善寺の伏見地蔵(ふしみじぞう)を除く、5体の地蔵尊が移されることになりました。江戸時代(1603年~1868年)前期の1647年(正保4年)に山城国長岡藩藩主・永井日向守直清(ながいひゅうがのかみなおきよ)が林羅山(はやしらざん)に撰させ、袈裟御前の貞女を顕彰した碑を建立しました。1711年(正徳元年)に火災で焼失し、天保年間(1830年~1844年)に本堂が再建されました。なお恋塚浄禅寺は阿弥陀如来(あみだにょらい)立像を本尊として安置しています。
*参考・・・恋塚浄禅寺(アクセス・歴史・・・)wiki

【恋塚浄禅寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
恋塚浄禅寺の見どころは六地蔵めぐりです。六地蔵めぐりは例年8月22日・23日に行われています。六地蔵を巡り、お札を受け取って玄関に吊るすと疫病退散・家内安全・福徳招来のご利益があるとも言われています。
恋塚浄禅寺六地蔵めぐり

【恋塚浄禅寺 行事・イベント(要確認)】
●六斎念仏は例年8月22日に行われています。六斎念仏は六地蔵めぐりで上鳥羽橋上鉦講中によって奉納されます。鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です。六地蔵めぐりは例年8月22日・23日に大善寺・浄禅寺・地蔵寺・源光寺・上善寺・徳林庵を巡ります。
恋塚浄禅寺六斎念仏

【恋塚浄禅寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・-

【恋塚浄禅寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【恋塚浄禅寺 おすすめ散策ルート】
恋塚浄禅寺からのおすすめ散策ルートは京阪国道を北側に向かい、東寺(教王護国寺)に向かうルートです。30分ほど散策すれば、世界遺産である東寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお東寺の更に北側にあるJRの線路を越えて北に向かうと東寺と同じ世界遺産である西本願寺まで散策するのもおすすめです。ただ結構距離がある為、あまり無理はしない方がいいかもしれません。

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