高麗寺跡(アクセス・マップ・見どころ・・・)
高麗寺跡
高麗寺跡(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。高麗寺跡は木津川北岸の河岸段丘上に立地し、舟運の港・上津遺跡の対岸に位置しています。高麗寺跡は寺域が南北約180メートル・東西約190メートルで、回廊で囲まれた伽藍中心部が南北約65.6メートル・東西約61.9メートルです。
【高麗寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市山城町上狛高麗寺
最寄り駅・バス停・・・JR上狛駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【高麗寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【高麗寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【高麗寺跡 歴史・簡単概要】
高麗寺跡(こまでらあと)は京都府木津川市山城町上狛高麗にあります。 高麗寺は飛鳥時代前期(7世紀初頭)に創建されたとも言われています。596年(推古天皇4年)に蘇我馬子(そがのうまこ)が創建した飛鳥寺(あすかでら)と同じ軒瓦(のきがわら)が使われたとも言われています。高麗寺は4~7世紀に朝鮮半島北部を支配した高句麗(こうくり)から渡来した氏族・狛氏(高麗氏)が関係すると言われ、周辺には上狛(かみこま)・下狛(しもこま)のように「狛」を含む地名が残されています。ちなみに日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」の欽明天皇31年(570年)条に高句麗から使節が来日し、高麗寺が建立されている山城国相楽郡に館(むろつみ)が造営され、迎接したことが記されています。高麗寺は9世紀(平安時代前期)に書かれた仏教説話集「日本霊異記」に記され、飛鳥時代から平安時代まで存在したが、鎌倉時代に廃寺になったとも言われています。高麗寺跡では1938年(昭和13年)に発掘調査が行われ、1940年(昭和15年)に史跡に指定され、ました。その後も1984年(昭和59年)~1988年(昭和63年)・2005年(平成17年)~2009年(平成21年)に調査が行われました。2010年(平成22年)~2021年(令和3 年)に整備が行われ、史跡公園として開園しました。
*参考・・・高麗寺跡(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【高麗寺跡 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
高麗寺跡の見どころは面積約20,100.5平方メートルの高麗寺跡そのものです。高麗寺跡は東側に塔、西側に金堂を配する法起寺(ほうりゅうじ)式伽藍配置(がらんはいち)で、背後に建立された講堂から延びた回廊が塔・金堂を囲み、中門に至っています。高麗寺跡では南門・中門・金堂が南北一直線に並んでいます。
【高麗寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0774-73-8191(木津川市観光協会)
【高麗寺跡 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【高麗寺跡 おすすめ散策ルート】
高麗寺跡からのおすすめ散策ルートは東側に位置する京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)を散策することです。15分ほど散策すると京都府立山城郷土資料館(ふるさとミュージアム山城)に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお高麗寺跡周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。