衣手神社歩射祭(日程・時間・・・)

衣手神社歩射祭

衣手神社歩射祭

衣手神社歩射祭(日程・時間・・・)を紹介しています。歩射祭は例年3月の第1日曜日に行われています。歩射祭では春にこの秋の五穀豊穣を祈願します。また歩射祭では矢を的に射って、作物の豊凶を占います。なお歩射祭では神事終了後に神職が4本の矢を放ちます。(詳細下記参照)

【衣手神社歩射祭2016 日程時間(要確認)】
衣手神社歩射祭2016は2016年3月6日(木曜日)11:00に行われます。

【衣手神社歩射祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区西京極東衣手町
最寄り駅・バス停・・・西京極運動公園前(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から衣手神社は73系統(C5乗り場)
*四条河原町からは80系統
路線・時刻表・運賃チェック

*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は西京極駅(徒歩約18分)

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【歩射祭 歴史・簡単概要】
衣手神社歩射祭(ぶしゃさい)・奉射祭(ほうしゃさい)では春にこの秋の五穀豊穣を祈願します。また歩射祭では矢を的に射って、作物の豊凶を占います。歩射祭では先ず本殿で祝詞奏上などの神事を行います。神事終了後は作物の豊凶を占う為、神職が4本の矢を放ちます。なお衣手神社と同じく松尾大社の御旅所である西七条御旅所では衣手神社と同じように1月に奉射祭(ほうしゃさい)が行われました。
歩射祭・奉射祭は元々小正月に行われる御弓始神事(御弓の神事)です。御弓始神事では新春に矢を放って邪気・陰気を祓って陽気を迎え、五穀豊穣・家業繁栄を祈願しました。なお歩射祭・奉射祭は蟇目(ひきめ)の神事などとも言われるそうです。

【衣手神社 歴史・簡単概要】
衣手神社(ころもでじんじゃ)・衣手社御旅所(ころもでしゃおたびしょ)は松尾大社(まつのおたいしゃ)の境外末社です。衣手神社は起源が明確ではありません。衣手神社はかつて郡村(こおりむら)の産土神だった三宮神社(さんのみやじんじゃ)が祀られていた場所でした。その後1679年(延宝7年)に現在の本殿が造営され、1852年(嘉永5年)には現在の拝殿が造営されました。1875年(明治8年)に松尾大社の境内末社・衣手社(羽山戸神)を合祀して衣手社の神輿を駐輿する御旅所になり、1878年(明治11年)には名称を衣手神社に改めました。なお衣手神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)・羽山戸神(はやまとのかみ)を祀っています。
*参考・・・衣手神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【松尾大社 歴史・簡単概要】
松尾大社(まつのおたいしゃ・まつおたいしゃ)は起源が明確ではありません。松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に生活の守護神として祭神・大山咋神(おおやまぐいのかみ)を祀ったのが起源とも言われています。その後5世紀頃に秦の始皇帝の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が文武天皇の勅命によって現在の場所に社殿を造営し、知満留女(ちまるめ)を斎女として松尾山山上の磐座に祀られていた神霊を社殿に移して祀りました。その後794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)・下鴨神社(賀茂御祖神社))とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられました。承和年間(834年~847年)に神階・従三位、852年(仁寿2年)に神階・正二位、859年(貞観元年)に神階・正一位に叙され、その後に勲一等に叙せられました。その後「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」では名神大社とされ、明神二十二社・上七社では第4位に記されました。なお松尾大社は大山咋神・中津島姫命(なかつしまひめのみこと・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神に祀っています。
*参考・・・京都・松尾大社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【衣手神社歩射祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
衣手神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
松尾大社見どころ(本殿・拝殿など)

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